★温湯温泉 後藤温泉客舎(黒石市、現存)
観るだけ美術部長は2023年3月26日(日)-29日(水)にかけて、青森県弘前市、黒石市に旅行に出かけました。こちらの温湯温泉は、黒石温泉郷にあり、現在でも共同浴場のまわりに「客舎」という湯治客用の宿泊施設が残っています。かつては湯治向きの温泉郷に多く見られた形態でしたが、最近は「湯治」というスタイル自体が激減し、旅館に改装。しかしそれも経営が難しくなり、旅館業自体が廃業に追い込まれたりする事例も多くあります。
「客舎」は内湯は持たず、湯治客主体なので自炊が基本です。今回は、この「古きよき」温泉スタイルを体験すべく、3月27日(月)-28日(火)こちらの黒石温泉郷、温湯温泉の「後藤温泉客舎」さんを訪れました。
温湯温泉は、黒石市を流れる浅瀬石川沿いに点在する黒石温泉郷のなかでも、最も西側に位置しています。開湯は、およそ400年前となんだとか。伝説によると、鶴が葦原で片足を付けて傷をいやしていたことから発見されたらしいです。温泉街の外れにある古刹薬王寺には、そんなエピソードもあるようです。
今回は、じつは同じ温湯温泉の「飯塚旅館」さんに当初宿泊する予定でした。しかし電話を入れたところ、宿主さまがご病気になられて入院され、しばらく休業するということを知り、後藤温泉客舎さんにお願いしたという経緯があります。こうした家族経営されている旅館さんのなかには、「いま行っておかなければ」というところも少なくないのです(コロナ禍を経験した昨今ならなおさら)。
後藤温泉客舎さんの建築年代ははっきりわかっていないのですが、明治維新の頃にはすでに存在していたようです。明治初期の市街地図にもしっかり描かれていることからもわかります。おそらく建築年代は江戸末期にまで遡るくらいの歴史を誇る客舎であるとも言えます。明治大正時代、そして古きよき昭和の湯治文化を色濃く残している宿舎でもあります。
後藤温泉客舎さんは、建物としてはとても古く、おそらく明治期の建物を修繕しながら使っているものと思われます。通りに面して、横方向に幅広い長屋のような構造をしています。周囲にある他の建物が軒並み2階建てであるのに対し、後藤客舎だけは時代が違うような感覚にすらなります。後述しますが、こうした構造であるため、部屋から公衆浴場までの導線が非常によく、理に適った構造であることがわかります。
宿舎の構造はとてもシンプルです。玄関土間が左右に広がる各部屋の前まで続いており、湯治客は土間で靴を脱いで、そのまま部屋に上がれるようになっています。
土間と部屋の間には、縁側のような腰掛けるスペースもあり、とにかく、部屋から玄関を出て公衆浴場に出るまでの導線がよい、移動がしやすいというのが驚きです。これぞ湯治宿、日本の「ONSEN」文化だと感じました。
各部屋にはサンダルが常備されていて、目の前にある「鶴の湯」公衆浴場にすぐに行けます。このお手軽さは、ほんとうに目からうろこでした。部屋の配置としては、玄関を入って左側に3部屋、右側に2部屋があって、それぞれ土間を通って玄関から公衆浴場に行きやすくなっています。道路側の5部屋(3+2部屋)の裏側、つまり中庭側にも同様に5部屋があり、合わせて10部屋なのですが、中庭側はあまり使われていないのか、布団が置かれていました。
中庭側の部屋を抜けたところに、自炊部分があります。電子レンジもあったので、簡単な調理はできそうです。
さて、お部屋を案内しましょう。障子の向こうがすぐに土間になっており、土間の先には共同浴場が目の前にあります。
「温湯(ぬるゆ)温泉」という名前ですが、湯温は熱めです。浴槽がふたつあり、44℃と42℃になっています。部長は42℃のほうへ。ちなみに源泉温度は52℃なんだそうです。
温湯温泉は、夕方から夜にかけて、とっても雰囲気がよくなります。写真を載せますので、思いを巡らしてくだされば幸いです。
温湯温泉は古きよき時代の建物が並んでいますが、古い建物は、今回宿泊した後藤温泉客舎さんと、飯塚旅館さんの2軒のみ。「昭和」を感じ取れるタイムリミットは、そう遠くないところにあるかもしれません。いま、行かなければという思いを新たにしました。