「観るだけ美術部」部長のブログ

「観るだけ美術部」勝手に部長です。入部希望者は、コメント欄にメッセージを残してください。折り返し、勧誘に伺います(笑)。

あしたはきっと、きょうよりよい日。

[講演会]★野田佳奈子「見どころ解説 さくらももこ 展」

(さくらももこ 展)

★野田佳奈子「見どころ解説 さくらももこ 展」

 北海道立帯広美術館、2026年10月10日(土)10:30、14:00

(WEBサイト→)

artmuseum.pref.hokkaido.lg.jp

sakuramomoko-ten.com

 さくらももこさんは、1965年静岡県生まれ。84年『教えてやるんだありがたく思え!』でデビュー。86年『りぼん』で『ちびまるこちゃん』を連載開始。89年同作品で第13回講談社漫画賞を受賞。90年作詞した「おどるポンポコリン」がポップス・ロック部門を受賞。91年初エッセイ『もものかんづめ』がベストセラー。2018年永眠。

(さくらももこ『もものかんづめ』)

 漫画家、エッセイスト、作詞家、脚本家と、多彩な活動を展開した、さくらももこさん。本展では、カラー原画や、直筆原稿、関連資料など、およそ300点により、いまなお輝く魅力に迫ります。

(さくらももこ『ももこのファンタジック・ワールド コジコジ)

※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、北海道立帯広美術館さま(HP)よりお借りしました。

 

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[講演会]★(当館学芸員)「ギャラリートーク 棟方志功 北方への祈り展」

(棟方志功 北方への祈り展)

★(当館学芸員)「ギャラリートーク 棟方志功 北方への祈り展」

 苫小牧市美術博物館、2026年10月10日(土)14:00

(WEBサイト→)

www.city.tomakomai.hokkaido.jp

 生涯にわたり、独自の板画(はんが。自作木版画の呼称)芸術を築き上げ、いまもなお「世界のムナカタ」として広く知られる棟方志功(1903年-1975年)。出自である青森を深く愛したことでも知られ、土着の画家としての印象が強い棟方志功ですが、生涯の大半は郷里から離れて創作活動に取り組んでおり、強度をテーマにした創作が本格化するのは、世界的な版画家としての名声が確立した1960年代以降となります。

(棟方志功『門世の柵』、版画、1968年、棟方志功記念館)

 「北国」が生んだ巨匠・棟方志功の芸術における「北方性」に着目する本展では、自らのルーツである青森を題材とする作品を始め、「縄文」やアイヌ民族の儀礼に発想を得た作品、さらには棟方芸術の到達点ともいえる神仏像を展観することで、北方に対する望郷や慈愛の念、そして郷里の発展に対する祈りにも似たまなざしに焦点を当てます。

(『棟方志功展』、2012年、北海道立函館美術館、チラシ)

※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、苫小牧市美術博物館さま(HP)よりお借りしました。

 

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[企画展]★軽物 松前藩が北の富 クローズアップ展示1

(軽物 松前藩が狙った北の富 クローズアップ展示1)

★軽物 松前藩が北の富 クローズアップ展示1

 北海道博物館、2026年8月7日(金)-10月8日(木)

(WEBサイト➡)

www.hm.pref.hokkaido.lg.jp

www.hm.pref.hokkaido.lg.jp

 江戸時代、松前藩は蝦夷地に住むアイヌ民族との交易をひとりじめにしていました。なかでも、ラッコやクマの皮、中国から来た絹織物、ワシの羽などは「軽物」と呼ばれ、松前藩が狙って買い集めた北の宝でした。時代が進むと、軽物の中身や集め方も少しずつ変わっていきました。この展示では、軽物とは何か、そして軽物がどう変わっていったのかを、古文書や絵画資料でたどります。

 

※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、北海道博物館さま(HP)よりお借りしました。

 

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[企画展]★三岸好太郎をめぐる7人の男と女 展

(三岸好太郎をめぐる7人の男と女展)

★三岸好太郎をめぐる7人の男と女 展

 北海道立三岸好太郎美術館、2026年9月20日(日)-12月10日(木)

(WEBサイト➡)

artmuseum.pref.hokkaido.lg.jp

 札幌に生まれ、詩情あふれる洗練されたイメージの世界を切り開いた画家・三岸好太郎(1903年-1934年)。そのおよそ10年間の画業は、時期のみずみずしい感性に根差しながら、様々な芸術の動向をしなやかに吸収し、果敢に新しい表現を切り開こうとする過程でもありました。そうした好太郎の画業に大きく関わった存在として、本展では7人の男女に脚光を当てます。

(林竹治郎『朝の祈り』、1904年、北海道立近代美術館)

 旧制中学校時代の恩師・林竹治郎。無二の親友でたがいに影響を与え合った俣野第四郎。恋人としてのちには妻として制作の尽きない源泉となった三岸節子。音楽の世界へと導いた吉田隆子。同時代フランス美術の紹介者として大きな刺激を与えた外山卯三郎。故郷・札幌の画友で版画や工芸への挑戦に関わった本間紹夫。好太郎のモダンな感覚を具現化したアトリエ設計者・山脇巌。

(俣野第四郎『ハルピン風景』、1924年、北海道立近代美術館)

 本展は、少年期からその早すぎる晩年まで、好太郎のあゆみを振り返りながら、これら7人の男女が好太郎に与えた影響と、そこから紡ぎ出された珠玉の作品群を紹介します。

(外山卯三郎『筆彩描画集 蝶と貝殻より』表紙、1934年)

※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、北海道立三岸好太郎美術館さま(HP)よりお借りしました。

(三岸好太郎『赤い服の少女』、1934年)

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[常設展]★樺太日露国境 第2天測境界標石ほか(根室市歴史と自然の資料館収蔵品常設展)

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(樺太日露国境 第2天測境界標石(日本側))

★樺太日露国境 第2天測境界標石ほか(根室市歴史と自然の資料館収蔵品常設展)

 根室市歴史と自然の資料館、常設展示(通年開館)

(WEBサイト→)

www.city.nemuro.hokkaido.jp

 根室市歴史と自然の資料館は、煉瓦造り。かつて旧日本海軍の通信施設「大湊海軍通信隊根室分遣所」として1942年(昭和17年)に建築されたものです。戦後、旧花咲港小学校の校舎として使用されていた建物を改修し、貴重な郷土資料を保存・活用するため、1989年(平成元年)から「根室市郷土資料保存センター」として運用をはじめ、2004年(平成16年)には、博物館法に基づく博物館相当施設として指定を受けました。施設内は、学芸員の研究室・作業室・資料室・資料展示室などで構成され、市内の遺跡から出土した土器や石器、また、生息する動植物など多くの資料があり、そのなかには1988年(昭和63年)に発見され、北海道指定有形文化財となった縄文時代後期の「土偶」や、天然記念物であるシマフクロウの標本などをはじめ、貴重な資料を多数所蔵・展示しています。

 そのほか、ロシア初の遣日使節であるラクスマンの根室来航に関する資料、樺太に設置されていた国境標石などの歴史資料など、この地域を特徴づける自然資料も展示しています。これらの収蔵資料を活用し、根室市とその周辺の歴史、自然に関する調査・研究も行っており、その成果をもとに、企画展、見学会、学芸員講演会等の普及活動も行っています。

 

★「樺太日露国境 第2天測境界標石」

(WEBサイト→)

www.city.nemuro.hokkaido.jp

 1905年(明治38年)、日本とロシアはポーツマス条約により、樺太北緯50度を日本とロシアの国境とすることに決定し、翌年から現地で共同による国境策定作業を行いました。これにより4個の国境標石が作られましたが、この2号が最初にポロナイ川上流に設置されました。 日本が国境標石を設置したのは、歴史上この時だけです。

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(樺太日露国境第2天測境界標石(ロシア側))


 1997年(平成9年)に、ロシアの民間人が所有していたこの標石を根室の有志が入手し、北方領土問題解決のため、また、国境について考えてもらう資料とするため、根室市に寄贈されました。国境標石は4か所に設置されたはずですが、現存するのはここにある1基のみです。

 

※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、根室市石と自然の資料館さま(HP)よりお借りしました。

 

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[特別展]★コソンテとルウンペ 展

(コソンデとルウンペ展)

★コソンテとルウンペ 展

 ウポポイ/国立アイヌ民族博物館、2026年9月19日(土)-11月23日(月・祝)

(WEBサイト➡)

ainu-upopoy.go.jp

 

 アイヌの盛装「コソンテ」。その名は、きものの原型である「小袖」に由来するアイヌ語です。本州で武家女性が身に着けていた小袖は、アイヌ文化のなかで男性が儀礼の際に羽織る装いになりました。

 

(『ルウンペ』、浦河町立郷土博物館)

 また、その布は「ルウンペ」の文様や装飾にも活かされ、新たな衣服へと姿を変えていきます。用いられる布や糸はじつに多彩で、素材の選び方や色の組み合わせ方、文様の作り方には、作り手それぞれの感性と創意がうかがえます。本展では、コソンテやルウンペを通して、アイヌと本州の交流から生まれた多彩なファッションの世界をご紹介するとともに、現代へと引き継がれる技と表現にも注目します。

(『ルウンペ』、釧路市立博物館)

※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、ウポポイ/国立アイヌ民族博物館さま(HP)よりお借りしました。

 

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[企画展]★永倉新八 新選組の元幹部隊士 クローズアップ展示2

(永倉新八 新選組の元幹部隊士 クローズアップ展示2)

★永倉新八 新選組の元幹部隊士 クローズアップ展示2

 北海道博物館、2026年8月7日(金)-10月8日(木)

(WEBサイト→)

www.hm.pref.hokkaido.lg.jp

 新選組は、幕末の京都で江戸幕府に敵対する浪士たちを取り締まった、幕府お抱えの剣客集団です。その幹部隊士の一人、永倉新八(1839年-1915年)は、江戸で働いていた松前藩家臣の次男として生まれ、明治維新後は松前藩の藩医、杉村家の婿養子となって杉村義衛と名前を変えるなど、北海道にゆかりの深い人物でもありました。多くの幹部隊士が幕末から明治維新期の動乱のなかで命を落としましたが、大正時代まで生きた永倉新八は新撰組の活動を後世に語り継いだ生き証人とも言えるでしょう。

 

※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、北海道博物館さま(HP)よりお借りしました。

 

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