「観るだけ美術部」部長のブログ

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[旧駅舎]★旧上厚内駅 駅舎主屋

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JR北海道による経費節減のため、3月で取り壊されることになった上厚内駅の駅舎)

上厚内駅 駅舎主屋(根室本線
 上厚内駅(かみあつないえき)は、十勝郡浦幌町上厚内にある根室本線の駅のひとつでした。駅舎側1番線が下り(厚内・白糠・釧路方面)で、2番線が上り(浦幌・池田・帯広方面)でした。しばらく無人駅でしたが、鉄道旅行者にとっては聖地のようなところでした。駅舎は古く、貫禄があり、土のプラットーホームと合わせて、国鉄時代の雰囲気をそのまま伝えてくれる駅舎でした。3月惜しまれつつ廃駅となりました。雪が融けたら取り壊しの作業が始まるとのことなので、それまでに再訪したいと思っています。

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(どこから見ても、絵になる駅舎でした。駅名標も雰囲気がありました)

 もともとは、信号所として1910年(明治43年)に開業したのが始まりで、1924年(明治43年)に停車場となりました。駅前には小さな集落があったのですが、廃止直前のデータを見ると、現在住んでいる住民は1人とのことでした。
 現在の駅舎は、1953年(昭和28年)に建てられたものです。鉄板葺きの切妻屋根に、短い煙突が1本、屋根下の小壁(こかべ)には漆喰を配した下見板張りの外壁。正面に里口の引き戸など、ほとんどの建具屋窓枠が木製のままに残されている貴重な駅舎でした。入口の駅名標は、青地に白文字のホーロー板。昭和の郷愁が色濃く感じられ、とても味わい深い、素朴でかわいらしい木造駅舎でした。

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(旧上厚内駅の駅舎内部。この土間の真ん中に寝袋を敷いて寝ました)

 この駅舎は、ぼくが大学生のとき、自転車旅行をしている途中、いちばん最初(だからつまり、人生でいちばん最初)に駅で寝た(「駅寝」)ときの駅舎です。土間にマットを敷いたら、もうそこは天国でした。トイレもあり、ベンチもあり、屋根があって、壁があって、電気も点いて・・申し分ないところでした。
 ただひとつ。ここの駅の始発が6時。朝、目が覚めてみると、ベンチに腰掛けたお婆さんが5・6人ほど。土間に寝ていた自分は、そのお婆さんたちを見上げて、ひとこと「・・・おはようございます・・」というのがやっと。そしたら「旅人さん、何も何も、寝てて頂戴。時間になったら、わたしたちは汽車に乗って居なくなるから。そしたらまた、誰も来なくなって、静かになるからさ」と言ってくださいました。なんという優しさ、なんという懐の深さなのでしょう。東京では、ありえないことですよね。時代もまた、そういう旅人に寛容な時代だったのでした。ぼくはまた、眠りに落ち、気がついたのは7時過ぎ。もうホームにも駅舎にも、誰も居なくて、ただそこにはレールが延びているだけでした。「じゃあ、行くか」去るのが名残惜しく、ノートにも思い出の文章を書き、また来るからな、とココロで叫んで、そこを離れました。それから以後、何度もこの上厚内駅の横を通り、駅舎にも懐かしく思って立ち寄ったりしましたが、ここで寝泊りしたことは、あとにも先にも、そのときだけです。

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