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[建築物]★大阪証券取引所ビルディング 旧市場館(大阪取引所、大阪市)

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(大阪取引所。昭和10年(1935年)の竣工。円筒状の迫力ある白壁の外観)

大阪証券取引所ビルディング 旧市場館(大阪取引所、大阪市
 難波橋(=ライオン橋)の南東側に建つレトロな建物です。かつては「大阪証券取引所」と呼ばれていましたが、現在では「大阪取引所」に名称が変更されています。円筒状の堂々たる白壁の外観と、ステンドグラスが美しい玄関ロビーが特徴的です。竣工は、昭和10年(1935年)、設計は住友工作部(長谷部竹腰建築事務所、長谷部鋭吉、竹腰健三、高橋英治)。平成14年(2002年)に全面改修。辰巳金吾設計の赤レンガ製旧館(1911年、大阪北浜)が築後わずか20年ほどで手狭となり、建て替えられました。

 取引所の起源は、江戸時代初期に遡ります。承応・寛文年間(1652年-1673年)の頃、全国各地の諸藩は大坂に蔵屋敷を設け、年貢米を回送、貯蔵し、商人に売却しましたが、その中で最も有力な商人であった「淀屋」が、現在の淀屋橋の南詰めに居を構え、盛んに売買を行ったことから、次第に他の商人たちも集まり、おのずから、この辺りに市場が形成されて行きました。のちに、これが「淀屋米市」と称され、日本の証券取引の始まりとされています。その後、この市場は対岸の堂島に移され、享保15年(1730年)幕府から公許を受け、堂島米会所と呼ばれるようになります。当時は、帳簿上の差金の授受によって決済を行う「帳合米取引」が主であり、世界初の組織化された先物取引所としても有名になりました。2013年に東京証券取引所経営統合日本取引所グループの一員となってからは、堂島の伝統を受け継ぎ、先物オプション取引に特化しています。

 昭和10年(1935年)に完成した建築は、玄関部分の無装飾な6本の列柱が印象的です。簡略化された新古典主義様式を基調としています。この様式は、特に19世紀以降最も新古典主義が流行した新興近代国家であるドイツとアメリカで発展。モダニズムが隆興した1930年代に全盛を極めました。現在では一般に「アドルフ・ヒトラーの建築様式」として知られていますが、敵対国家のアメリカでも負けず劣らず人気だったことは、興味深い事実です。アメリカでは合衆国中央銀行FRB本部(1937年、ワシントンDC)、アメリカ国防総省(1943年、アーリントン)、ドイツではドイツ航空省(現在のドイツ財務省、1936年、ベルリン)などが有名。日本でこの種の意匠を多く手がけた住友工作部(長谷部竹腰建築事務所)は、同じく大阪船場の住友ビルディング(1926年、1930年)、日本生命保険相互会社本店本館(1938年、1962年)などが代表作品と言えるでしょう。外壁は花崗岩貼りの鉄筋コンクリート造り、地上6階、地下2階建て。

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(正面玄関はシンプルですが、玄関ホールはステンドグラスが華やか)

 ストイックなファサードに対して、内部意匠の細部にはアール・デコなどの豪華な装飾が見られます。玄関ホールの美しいアール・デコのステンドグラス(画像正面、玄関上部に設置されています)に使われたガラスは、アメリカ・コモモ社、およびフランス・サンゴバン社製の色ガラスで、これを近代日本のガラス工芸家、生田徳次がステンドグラスとして完成させたと伝えられています。株式取引所だけあって、金運が付くよう、玄関ホールは「小判」型にデザインされています。玄関ホール・エレベーター扉は、フィレンツェ大聖堂前のサン・ジョバンニ洗礼堂におけるアンドレア・ピサーノ作・南扉(1336年、プロト・ルネサンス様式)のモチーフを使用しているそうです。大変マニアックな意匠らしく、そのあたりに設計者の細部のこだわりが伝わってきます。床面は大理石が貼られており、模様が大変美しいです。
 
 平成14年(2002年)高層化にともない、玄関部分を残して全面改修されたのは残念ですが、ファザードの大部分と印象的な玄関ホール、貴賓室が復元・保存されたのは奇跡的です。建物の正面には、NHK朝のテレビ小説『あさが来た』でも有名な薩摩藩出身、五代友厚(ごだいともあつ)の銅像があります。

※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、ブログ運営者がみずから撮影したものです。

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