「観るだけ美術部」部長のブログ

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あしたはきょうより、きっといい日。

[シルクロード]★(№038)新疆-キルギス-カザフスタン-ウズベキスタン 8日目

 

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(「「観るだけ美術部」部長のシルクロードキャラバン(妄想編)」の予定ルート)

 8日目は、ビシュケクから3度目の国境越えをして、カザフスタンに入ります。このシルクロードキャラバンの旅は「妄想」ですので、トラブルには一切遭遇しないのですが、2022年1月にカザフスタンでは大規模な暴動が起こりましたね。石油価格の急騰が引き金になり、市民の不満が爆発。カザフスタン政府はロシア軍も引き入れて武力で鎮圧しました。いろいろ双方の主張はあるし、ここではそう言った話には触れませんが、いすれにしても安全な旅ができるようになることが願いです。

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ビシュケクから、カザフスタンの国境を目指します)

 宿泊していたビシュケク市を出て、カザフスタン国境に向かいます。道路はとても快適で、草原地帯を快走していきます。しかし風景は行けども行けども、あまり変わり映えしなく、だんだん「風景慣れ」してきました(汗)。クルマで3時間ほど走り、やっとカザフスタン国境に到着です。

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(ここでキルギスからカザフスタンに入ります)

 キルギスは気持ちよく過ごさせてもらえましたが、カザフスタンはどうなのでしょう。画像では、国境警察さんが一人おられますが、大規模暴動後の現在は、おそらくこんな静かな状況ではないはず。きっと、物々しい厳重な国境警備となっているはずです。いつの時代も、国境越えは緊張するものです。

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(馬肉の缶詰。なんか「シルクロード!」という感じでしょう?)

 緊張した国境越えでしたが、ガイドさんのおかげで無事通過することができました。国境を越えたところで、昼食となりました。基本的には、プロフ(中央アジア風のピラフ)、羊肉、野菜スープなど、キルギスとあまり変わり映えのしないメニューが並んでいました。食事を終えて、簡単なショップのコーナーで、馬肉の缶詰を見つけました。何だか、いかにもシルクロード!という感じがしました。ここは騎馬民族の土地なんだという印象を強く持ちました。

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(タラス河。世界史の教科書にも出てくる「タラス河畔の戦い」の舞台です)

 昼食のあと、またクルマを2時間ほど走らせてタラス河のほとりに到着。751年、東アジアを支配していた唐朝(618年-907年)とイスラム帝国アッパース朝(750年-1258年)がこの地で激突した古戦場として有名なところです。

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(タラス河畔の戦いで有名な場所ですが、いまでは静かな田舎町です)

 750年、唐朝の朝鮮出身の軍人であった高仙芝がウズベキスタンの首都タシュケントにあった石国(タシュケント国)の王子を捕虜にし、これを虐待したことがきっかけでした。捕虜となった石国の王子はその後逃亡、周辺国に高仙芝の暴状を訴えます。周辺イスラム諸国はアッバース朝に救援軍を頼み、これに応じたイスラム連合軍が唐軍と戦ったのでした。唐軍はこの戦いで大敗し、5万人の戦死者と2万人の捕虜者を出したと言われています。この戦いはバグダッドからも、長安からも遠い辺境の地での戦いではありましたが、その後中央アジアイスラム化するか、中国化(仏教化)するかのターニングポイントとなった世紀の大決戦でもありました。アッバース朝が勝利したことで、中央アジアイスラム教の支配が確立され、仏教は衰退していくことになります。またこの戦いは、その捕虜者に紙すき職人が混じっていたことから、唐朝の製紙法が西方に伝播するきっかけにもなりました。玄奘三蔵がこの地を訪れたおよそ100年後のことです。世界史の教科書を読み直してみると、面白いですよ。

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(アイシャビビ廟。タラス村にあり、花に囲まれていい雰囲気です)

 タラス河畔からさらにクルマで2時間ほど走って、タラス村に到着しました。タラス村には、アイシャビビ廟という観光名所があります。商人の娘であったアイシャビビは、カラハン朝の王子と恋に落ちたそうです。ですが父親の反対されてしまいます。不憫に思った母親が、乳母のババジカトゥを伴わせ、秘かに自邸から送り出しました。アイシャビビは王子に会う前にタラス河で身を清め、河畔で身に着ける衣装を手繰り寄せようとしましたが、そのとき不運にも毒蛇にかまれてしまいました。遅れて駆けつけた王子はアイシャビビが息を引き取る前に急いで結婚式を挙げ、彼女のために立派な廟を造りました。これが、このアイシャビビ廟だという伝説が残っています。そういうロマンチックなエピソードが残っていることもあり、ここはカザフスタンの人々には人気の観光地だそうです。

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(宿泊したジャンプールホテル。のんびりした雰囲気でした)

 この日はタラス村で宿泊。タラス村は化学工業、薬品工業が盛んらしく、またタラス河を利用した水力発電所もあるそうです。宿泊したジャンプールホテルは快適でしたが、エレベーターがないなど、どことなくソ連時代を思わせる雰囲気でした。カザフスタンの国境越えで緊張して疲れたので、この日は早く眠ることにしましょう。

あしたはきょうよりもっといい日。