★旧神居古潭駅 駅舎(JR函館本線、登録文化財、鉄道遺産、旭川市指定文化財)
10月に旭川市に「山下清展」を鑑賞しに行きました。その途中で、旧神居古潭駅駅舎にも立ち寄ったので、その報告をします。
国道12号線から神居古潭トンネル手前を旧道に入ります。500mほどでこじんまりとした駐車場がありますので、そこにクルマを停めました。ここから、神居大橋という橋を渡るのですが、これがまたスリリング。大河でもある石狩川が、川幅わずか20mほどの峡谷を渦巻いて流れているのです。その勢いはすさまじく、水深は70mにもなるとか。「カムイコタン」とは、アイヌ語で「魔神(神様)の住むところ」の意味ですが、アイヌの人たちはこの川を渡るとき、イナウ(木幣)という道具を用いて、無事にこの渡河ができるよう神に祈りを捧げたと言います。ちなみに、この神居大橋も、土木遺産に指定されています。
アイヌの人たちはイナウ(木幣)を捧げて無事な渡河を祈ったことでしょう。眼下の激流を目にすると「魔神が住むところ」という名前も、あながち空想ではないと思わせます。
神居大橋を渡って、少し階段を上ったところに駅舎があります。レールがあったところは、現在はサイクリングロードになっていて、駅舎は休憩所にもなっています。手前に見えているのはトイレ棟です。神居古潭周辺は、紅葉の名所でもあります。
明治23年(1890年)北海道の内陸開発の拠点として、旭川村が設置されました。内陸開発には鉄道の敷設が不可欠だったため、明治31年(1898年)7月16日には空知太(現在の滝川市)から旭川まで鉄道が開通しました。
旧神居古潭駅は、明治34年(1901年)12月3日に「神居古潭簡易停車場」として設置され、明治36年(1903年)5月15日に「神居古潭駅」となりました。
この駅舎、及び附属便所は、明治43年(1910年)に建設されたものです。その後、大正末期から昭和初期にかけて、数度の増改築が行われましたが、建築当時の面影はよく残されています。
昭和44年(1969年)輸送量の強化と電化にともない、函館本線の納内-伊納駅間がトンネル化されたことにより、神居古潭駅は廃駅となりましたが、明治期の数少ない駅舎建築として貴重なことであることから、平成元年(1989年)に資料館兼サイクリングロードの休憩所として、廃駅当時の姿に復元されています。内部は事務所部分や改札部分は撤去され、現役当時の写真パネルが展示されています。
建物は、寄棟屋根の軒先に同じ勾配の下屋を配した珍しい形状の屋根と、アールヌーボー様式の軒受け柱に特徴が見られます。外壁は下見板張りで、薄緑色の彩色されているのが目を惹きます。典型的な地方小規模駅舎建築であると同時に、明治期における西洋建築の意匠導入時の特徴を残す数少ない現存例であり、同時に建てられたトイレ棟も含め保存状態がとてもよいことから、道央・道北の鉄道発展史を考える上でも貴重な遺構です。(2021年10月、現状を確認)
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