★樺太日露国境 第2天測境界標石ほか(根室市歴史と自然の資料館収蔵品常設展)
根室市歴史と自然の資料館、常設展示(通年開館)
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根室市歴史と自然の資料館は、煉瓦造り。かつて旧日本海軍の通信施設「大湊海軍通信隊根室分遣所」として1942年(昭和17年)に建築されたものです。戦後、旧花咲港小学校の校舎として使用されていた建物を改修し、貴重な郷土資料を保存・活用するため、1989年(平成元年)から「根室市郷土資料保存センター」として運用をはじめ、2004年(平成16年)には、博物館法に基づく博物館相当施設として指定を受けました。施設内は、学芸員の研究室・作業室・資料室・資料展示室などで構成され、市内の遺跡から出土した土器や石器、また、生息する動植物など多くの資料があり、そのなかには1988年(昭和63年)に発見され、北海道指定有形文化財となった縄文時代後期の「土偶」や、天然記念物であるシマフクロウの標本などをはじめ、貴重な資料を多数所蔵・展示しています。
そのほか、ロシア初の遣日使節であるラクスマンの根室来航に関する資料、樺太に設置されていた国境標石などの歴史資料など、この地域を特徴づける自然資料も展示しています。これらの収蔵資料を活用し、根室市とその周辺の歴史、自然に関する調査・研究も行っており、その成果をもとに、企画展、見学会、学芸員講演会等の普及活動も行っています。
★「樺太日露国境 第2天測境界標石」
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1905年(明治38年)、日本とロシアはポーツマス条約により、樺太北緯50度を日本とロシアの国境とすることに決定し、翌年から現地で共同による国境策定作業を行いました。これにより4個の国境標石が作られましたが、この2号が最初にポロナイ川上流に設置されました。 日本が国境標石を設置したのは、歴史上この時だけです。
1997年(平成9年)に、ロシアの民間人が所有していたこの標石を根室の有志が入手し、北方領土問題解決のため、また、国境について考えてもらう資料とするため、根室市に寄贈されました。国境標石は4か所に設置されたはずですが、現存するのはここにある1基のみです。
※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、根室市医師と自然の資料館さま(HP)よりお借りしました。