「観るだけ美術部」部長のブログ

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[建築物]★御前水地区にあった石造倉庫(旧防空壕)

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室蘭市御前水地区に合った石造倉庫。今年解体されました)

★御前水地区にあった石造倉庫(旧防空壕

 久しぶりに、古建築関連の記事です。部長が住んでいる室蘭市は、北海道では珍しく、かつては軍需工業、製鉄業などを中心とした重化学工業都市でした。そのため、近代建築もいくつか残っており、部長はそうした古建築を探訪するのが趣味のひとつになっています。

 しかし室蘭市も人口減が進み、そのあおりもあって、古建築がひとつ、またひとつと静かに解体されています。「櫛の歯がこぼれるように」とはよく言ったもので、その痕跡を目にするたびに残念な思いに駆られます。

 今回紹介する建築物も、つい最近まではその場に存在しているのを確認していました。それが数日前に近くを通ってみたところ、きれいに解体されて整地されているのを見つけてしまいました。またひとつ、趣きのある近代建築が無くなってしまいました。

 こちらの建物は、室蘭市の御前水という地区にありました。この「御前水」という名前の由来は、明治天皇が軍需工業を視察した際に、この近くで休憩され、この付近の湧水「天澤水」でのどを潤したというエピソードから来ています。この石造倉庫からは、戦艦の1枚甲板を製造した日本製鋼所が見下ろせます。

 こちらの石造倉庫は個人所有のもので、質屋さんをしていたようです。石造倉庫は昭和16年(1941年)に防空壕として造られたそうです。終戦直前の昭和20年(1945年)7月、室蘭市は大規模な空襲に遭い、日本製鋼所は艦砲射撃により大打撃を被りました。日本製鋼所に隣接する御前水地区の惨劇は特に大きかったと記録されています。こちらの石造倉庫は、室蘭空襲を耐え抜いた生き証人でもあります。

 使用された石材は、おそらく幌別軟石(登別軟石)でしょう。国道36号線を、東室蘭方面から室蘭方面に走らせると、右手にありました。付近は護国寺をはじめとして寺院が集まっており、前述「天澤水」の遺構が残る「御傘山神社」もあります。

 

※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、ブログ運営者がみずから撮影しました。

あしたはきょうよりもっといい日。