「観るだけ美術部」部長のブログ

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[三角点]★絵鞆岬山(四等三角点、点名:絵鞆岬)標石

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(絵鞆岬山三角点標石(四等三角点、点名:絵鞆岬)

★絵鞆岬山(四等三角点、点名:絵鞆岬)標石
(標 高)36.77m
(踏査記録)2019年5月26日(日)
      駐車場 10:05 → 10:10 絵鞆岬山三角点(標石) 10:20 → 10:25 駐車場
(踏査時間)0:20 

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(こちらの三角点標石は、室蘭市の郊外、絵鞆岬展望台の駐車場横に設置されています)

 久しぶりの記事掲載です。三角点の踏査は、ぼちぼちとやっているのですが、記事にする時間がなくて、すっかりご無沙汰しておりました。今回の三角点は、室蘭市の郊外、絵鞆岬展望台の駐車場のすぐ横に埋設されている三角点です。
 この時期は仕方がないことなのでしょうけど、標石が雑草に覆われていて、石面すら見えないという状況です。いつもなら、多少の雑草は抜いてから撮影するのですが、今回はあきらめて、そのまま撮影しました。絵鞆岬は、室蘭を代表する景勝地で、白鳥湾と、それをまたぐ白鳥大橋が、それはそれは美しいです。

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(絵鞆岬は交通の便がよかったため、古くからアイヌ民族の交易地となっていました)

 絵鞆岬は、古くからアイヌ文続による交易が頻繁に行われていました。絵鞆岬の案内板には「室蘭発祥の地。絵鞆とはアイヌ語の「エンルム」から転じたもので、「突き出ているところ」「岬」というのが語源。絵鞆は江戸時代から明治初期まで、室蘭地方全体を示す地名であった。地図の上では、蝦夷の古地図として知られる『正保日本図』(1648年ごろ)に「エントモ」の名で初出している。慶長年間の初め松前藩の直轄所として開かれ、交易所として通行人の宿泊もできた運上屋が置かれた。夏季にはアイヌ民族と交易するため、松前藩の御用船が絵鞆に出入りしていた。絵鞆岬とその小高い山の上ではチャシ(砦)の遺跡が見つかったほか、その周辺からはさらに古い縄文早期(およそ8000年前-6000年前)の貴重な出土品も数多く出土している」(一部改変)と書かれています。古くから、豊かな場所だったことがわかります。

※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、ブログ運営者がみずから撮影したものです。

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