「観るだけ美術部」部長のブログ

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[建築物]★北炭幌内炭鉱 音羽坑口跡

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(北炭幌内炭鉱 音羽坑口跡)
 
★北炭幌内炭鉱 音羽坑口跡 (2012.6.訪問)
 
 北海道の炭鉱開発の歴史は、1879年(明治12年) に開坑したこの「幌内炭鉱」の創業により始まりました。明治政府は、炭鉱の開発と同時に、小樽-幌内間を結ぶ石炭運搬鉄道の敷設にも力を入れ、1880年(明治13年 ) に鉄道を完成させます。これは、道内初、国内でも3番目の鉄道でした。これにより、北海道内の鉄道の歴史も、この幌内地区から始まることにもなりました。
 その後炭鉱と鉄道は、「北海道炭砿鉄道 (のち北炭鉱業)」 にはらい下げられ、以降北炭は、幌内をはじめ、夕張や空知炭鉱を開発、明治30年代には実に北海道の石炭生産の9割を担うほどに急成長しました。その後も「北炭」は、夕張や幾春別をはじめ、北海道各地に炭鉱を開削していきます。戦後エネルギー政策の転換により経営が悪化し、1989年(平成元年) 経営に行き詰まり、閉山しています。 
  閉山後は残念ながら、安全性の問題などから、多くの構造物が取り壊されましたが、それでも往時を偲ぶ建築物や施設が、いまでも数多く残っています。さらに、2004年から「みかさ炭鉱の記憶再生塾」が設立されたことにより、有志が保存に取り組みはじめ、周辺一帯は「幌内景観公園」として整備されつつあります。
 
 幌内炭鉱は、ここに挙げた「音羽坑」から始まりました。つまり、これが北海道で最も古い坑口跡ということになります。 坑口は林道から草刈りされた道を10分ほど歩いたところにあります。草生しており、坑口には水も溜まっていますが、想像以上にしっかりと残されていたのには驚きました。
 
 付近にはこのほか、煉瓦造りの安全灯庫跡(大正から昭和初期の建築)や、幌内神社跡、旧北炭幌内変電所などが、現存しており、日本の近代化を学ぶよい場所となっています。
 
※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、ブログ運営者がみずから撮影したものです。
 
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