「観るだけ美術部」部長のブログ

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[旅行案内]★森本右近太夫の落書き(カンボジア・19)

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★森本右近太夫の落書き
 森本一房(もりもと・かずふさ、生年不詳-1674年(延宝2年))は、江戸時代平戸藩藩士。父は加藤清正重臣森本一久で、その次男。右近太夫(うこんだゆう)と名乗りました。1632年(寛永9年)に、カンボジア(当時は南天竺と呼ばれた)に父母の菩提を弔うために渡り、インド祇園精舎と思われていたアンコール・ワットの回廊の柱に落書きを残したとされています。(十字回廊の右側。現在は上から墨で塗り潰されており、落書きが読めるような写真を撮ることは大変難しい)。
 主君清正が死し、父儀太夫(一久)も後を追うように死した後、加藤忠広の下で混乱する家臣団に嫌気がさして肥前国松浦氏に仕えたと書かれています。松浦氏は、領内に平戸を持ち、国際的な貿易港だったこともあり、右近太夫もまた朱印船に乗ることができたと推測されます。右近太夫は無事日本へ帰国するのですが、直後に始まる鎖国政策と海外渡航の禁止、さらに海外にいる日本人の帰国禁止に伴い、その後の消息は不明でした。近年、京都市墓所が発見されたそうです。水戸徳川家に伝わる「祇園精舎図」は森本右近太夫が描いたものではないかと言われています。
 「落書き」と書きましたが、現在では江戸時代における日本とカンボジアの交流を証明するものとして、保存され現在に到っています。

 
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