3日目は、トルファン賓館を出て周辺の観光をしたあと、9時間かけてクチャに移動します。熱中症にならないように、気を使います。ところで、熱中症対策ですが、水をガブガブ飲むと、下痢をしてしまいます。地元の皆さんに聞くと、西瓜(すいか)やハミ瓜を食べるとよいそうです。ゆっくり水分が補給されるからだそうです。西瓜が嫌いなひとも、休憩のたびに頑張って西瓜を食べましょう。西瓜は、シルクロードの特産品のひとつで、どこでも売っています。
まず最初に訪れたのが「火焔山」です。ここに、『西遊記』のモニュメントがあります。『西遊記』に「火焔山」のエピソードがあるのはご存知ですか? 山全体が燃え盛るのを、孫悟空が「芭蕉扇」という大きな団扇を使ってあおぎ、その炎を消したというお話です。そのモチーフとなったのが、この「火焔山」です。
猛暑のなか、続いて見学したのが「ベゼクリク千仏洞」。有名な「誓願図」が保存されている石窟寺院です。この猛暑の地で、石窟を開き、そこで修業した僧侶の思いとは、どんなものだったのでしょう。
続いて訪れたのが「アスターナ古墳群」。トルファン地域は、かつて小さいながら王国が存在していて、ここはそこに住んでいた人々の墳墓だと言われています。ここで、夫婦のミイラが並んで保存されているのを観たのですが、これも保存方法がお粗末な感じがしました。
これらのミイラなどは、紙に巻かれて安置されていたのですが、その紙が「トルファン文書」と呼ばれ、たいへん貴重なものとされています。紙に書かれている内容は、当時の土地の借用文書だったり、水の管理に関わる文書だったりするのですが(言ってみれば、不要となった雑紙ですよね)、これらが図らずも、当時のシルクロード上の町の様子や生活の様子を知る第一級の資料となったのでした。
最後に訪れたのが「高昌故城」。卒論で調べたのは、かれこれ30年近く前の、この遺跡でした。当時は、動画などはもちろんですが、遺跡を写した画像なども皆無で、ひたすら中国人研究者が測量した図と研究論文を頼りに書き上げました。懐かしい大学時代の思い出です。 高昌故城は広いので、現在は電気カートを使って、遺跡の中をぐるりと回りながら見学できます。
この高昌故城は、初唐の時代には「高昌国」という国の都城でした。長安を逃亡するような形で脱出した玄奘三蔵でしたが、ここ高昌国は熱心な仏教国であったため、唐の高僧であった玄奘三蔵を温かく迎い入れました。玄奘三蔵は数か月滞在したのち、国王にこの国にとどまって仏教の教えを広めてほしいと懇願されましたが、インドに向かう意志の堅さに変わりはなく、国王は泣く泣くあきらめて、そのかわりに多くの従者と路銀をもたせたそうです。去り際、国王は「無事、インドでの修行を終えて、唐に戻ることができたときには、必ずこの国にお立ち寄りください」とお願いし、玄奘三蔵も必ず立ち寄らせていただきますと固く約束したのですが、十数年後、玄奘三蔵が修業を終えて戻ったときには、すでに高昌国は滅亡していました。唐に攻め込まれて滅びたのでした。
高昌故城をあとにして、次の町、クチャに向かいます。クチャまでは、シルクロードの幹線鉄道「南疆鉄道」に乗り込んで、9時間の行程です。長いです。さすが、シルクロードです。
南疆鉄道は、本来はウルムチ市からトルファンを経由して、カシュガル市までを結んでいます。長旅になってしまうので、座席車両のほか、寝台車両もあります。今回は、9時間の行程ですが、座席車両だと疲れるので、寝台車両にしてもらいました。それでも疲れます。途中でお弁当をもらった以外は、ひたすら寝たり、座ったり、車内を散歩したりして過ごしました。
南疆鉄道に乗車して9時間、ようやくクチャの町に着きました。到着したのは、すでに深夜でした。軽食をいただいたあと、すぐに部屋に戻りました。あしたは移動が無いので、少し楽かなと思います。