4日目は、クチャの周辺を観光します。まずは「塩水渓谷」を観光します。
この塩水渓谷は、シルクロードの本道とも言われており、1500年以上も前と同じ風景なのでしょう。地表が侵食されており、白い地肌が見えています。塩分がにじみ出ているためだそうです。
次に、「キジル千仏洞」に向かいました。クチャ市街から西北75kmのところにあります。第17窟から、五弦琵琶の第8窟、音楽堂の第38窟という順で見学しました。仏陀の前世を語るという「本生物語」などの壁画で彩られているのですが、どの壁画、天井画も、みな破壊されているのには心が痛みました。理由のひとつは、偶像崇拝を禁じたイスラム教徒の世界になったから。仏画の目が潰されているのは、おもにこの理由によるものとされています。ふたつめの理由は、歴史上何度か行われた廃仏政策によるもの(つまり政府による仏教の非公認化)、3つ目は文化大革命による破壊、4つ目は日本の大谷探検隊を含む外国の探検隊が剥がして持ち帰ったため、とされています。キジル千仏洞は、インドのアジャンタ、アフガニスタンのバーミヤン(破壊されました)、中国の敦煌莫高窟と並んで、大規模な仏教寺院としてあまりにも有名です。なお、内部の写真撮影は禁止です。
キジル千仏洞の入口にある銅像は、鳩摩羅什(クマラジーヴァ)の坐像です。鳩摩羅什は、西暦344年、シルクロードの要衝、亀茲国(現在のクチャ)で、父親はインド商人、母親は亀茲国国王の妹という両親から生まれました。7歳で出家し、9歳のときに母親と共にインド(天竺)への旅に出て、そこで大乗仏教に出会い、そのサンスクリット語の膨大な経典の漢語訳を決心したそうです。50歳になって、請われて長安に行き、そこで「法華経」「阿弥陀経」など300巻あまりに及ぶ経典の翻訳を完成させ、60歳くらいで没したとされています。
続いて見学したのが、「クズルガハ烽火台」です。漢代(およそ2,000年前)に、軍事用の烽火台として築かれたそうです。高さは13.5m、昼間は煙で、夜は火で信号が発せられたようです。おもに版築(日干し煉瓦のように築き固めた)構造で、上部に木製の楼閣があります。烽火台はシルクロードに沿って15km間隔で設けられたそうですが、現存するのはこの烽火台が唯一です。
次に向かった「スバシ故城」は、仏教寺院の遺跡で、世界遺産。唐代亀茲国最大の寺院だそうです。年代としては、3世紀、後漢の時代から魏晋時代ころのもので、最盛期には3,000名もの僧侶が居たそうです。現存する遺跡は、ほとんどが版築の構造です。前述の鳩摩羅什も、ここスバシ故城を訪れたそうですが、そのときはすでに大きな仏教寺院があったそうです。玄奘三蔵がここに2カ月ほど滞在したこともあり、そのことは『大唐西域記』にも記されています。
クチャ大寺は16世紀(清代)に建てられた中国風のイスラム教寺院で、新疆ウイグル自治区では(カシュガルのエイティガール寺院に次ぐ)2番目に大きなモスクです。始めは日干し煉瓦で造られましたが、1927年に改修されています。門楼は青い煉瓦で造られていて、荘厳で厳粛な雰囲気です。
クチャの郷土料理として有名なのが、巨大なナンです。小麦粉に牛乳、油、ネギなどを加えてよくこねます。それをあらかじめ熱した屋外のナン焼き窯に運び、内側の壁に貼り付けます。ナンの直径は大きなピザのサイズより大きいくらい。大きいので窯の壁に貼り付けるのにも技術が必要。火傷しないように細心の注意を払います。やはり焼きたてがいちばん美味しいとのことでした。