「観るだけ美術部」部長のブログ

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[建築物]★豊平館(札幌市/中島公園に移築保存)

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豊平館。近代日本をも象徴する建築です。宿泊者第1号は明治天皇

豊平館(札幌市/中島公園に移築保存)

 豊平館は、明治政府が建てた(官営)唯一のホテルです。また、開拓使が取り入れたばかりの洋風建築様式の粋を集めて建てた「洋造ホテル」作品のひとつでもあります。建築されたのは1880年(明治13年)で、現存する木造ホテル建築としてはわが国最古。設計は開拓使工業局営繕課(安達喜幸)、施工者は大岡助左衛門。明治、大正、昭和と3代に亘り天皇が宿泊されたほか、現在の天皇陛下を始め上皇陛下ら皇族が多数訪れた由緒ある建物でもあります。宿泊者第1号は明治天皇本人で、1881年(明治14年)のこと。行幸の一行は小樽の手宮港に到着したのち、わが国で3番目に開通した鉄道で札幌に入り、洋風建築の豊平館に宿泊しました。開拓使行幸に際し、わが国最先端の「近代」を披露したことになります。建物は、重要文化財に指定されています。

www.s-hoheikan.jp

 当初は、現在札幌芸術文化劇場Hitaru(中央区北1条西1丁目)の場所に建てられ(現在でも、その地には大きなハルニレの木が残されており、往時をしのぶことができます)、1958年(昭和33年)に中島公園内に移築されました。1982年(昭和57年)に修理復元工事、2016年(平成28年)に耐震補強と補修工事が施されました。

www.city.sapporo.jp

 白い外壁を鮮やかに縁どる群青色、この色は「ウルトラマリン・ブルー」と言われ、昔は宝石として尊ばれたラピスラズリ(瑠璃(るり))から造られていた高貴な色です。建物全体はアメリカ風様式を基調としながら、

 正面中央に位置する玄関には、半円形の優美な車寄せを配置し、2本を近接させた吹き寄せ形式の円柱が建っています。円柱の柱頭には花葉彫刻が飾ってあります。これはギリシャ建築のコリント様式にならったもので、直上の屋根にはひときわ目を引く中央円型バルコニー(ポーチ)が美しさを際立たせています。外壁は下見板と下地板の2重張り、室内側を漆喰塗りで仕上げ、この隙間にちり漆喰を塗って、北海道の寒さに対応させたのでした。

 1階には玄関ホール(ロビー)を中心に配置。上り口のすぐのところで矩の手に折れる階段があります。曲線の美しさ、装飾の豊かさからも、高い技術で仕上げられていることがわかります。玄関ホール(ロビー)の右手に帳場、宿泊室が4室(天井中心飾りのモチーフごとに「姫百合の間」「葡萄の間」「芙蓉の間」「百合の間」)、左手には「会食所」と「広間(下の広間)」が引き戸で仕切られていました(現在は「会食所」が喫茶室「ハルニレ」となっています)。

 2階は宿泊室と舞踏場(広間)が並びます。舞踏室(広間)は前室を含めるとおよそ172㎡あり、豊平館では最も大きな部屋です。天井中心飾りも2つあり、モチーフには「紅葉」と「大菊」があしらわれています。1881年(明治14年)の明治天皇行幸の際には、謁見所として使われました。舞踏場(広間)などの床構造は特殊でした。舞踏会などが催されるのを想定して、厚い床板の下に角材を隙間なく並べ、それを横から長い鉄ボルトで締め付けたものでした。全体の厚さは14cmにもなったそうです。

 2階の右手奥には「梅の間」を配置。この「梅の間」こそが、明治・大正・昭和天皇(大正・昭和天皇は皇太子時代)が行幸啓の際に滞在された部屋(御座所)です。天井中心飾りに「梅」が用いられています。この部屋は、木部の塗装や壁構造なども建設当初の状態で復元されています。椅子や洋腹箪笥、ベッド(寝台)、洗面台に至るまで、当時の資料に基づいて再現されました。建築当時、ベッド(寝台)を備えたサービスができるホテルは希少でしたが、この豊平館はそれが可能でした。ボーイが毎朝部屋を回り、洗顔用のお湯を届けるサービスを行っていたそうです。

 「梅の間」に向かい合って「椿の間」がありました。1881年(明治14年)の明治天皇行幸の際は、着替えなどをする「次の間」と「御湯殿・御厠」の2室に分かれていましたが、移築後、仕切り壁を取り払い、結婚式場として使われました。「梅の間」の並びに位置する「芍薬の間」は、侍従長などの部屋として使われました。「芍薬の間」に並んで「紫の間」が配置され、また廊下を挟んで「薄と女郎花の間」が配置されていました。

 館内には6基の暖炉があります。暖炉のマントルピースは、天板のみ大理石仕上げ、そのほかは大理石に見立てた漆喰仕上げでした。当時の左官技術の高さが伺えます。各室のカーテンは「牡丹唐草」を用いています。当時ようやく国産化に成功した、京都西陣において織られたものだとか。8組あるシャンデリアは、東京赤羽工作分局の製作による国産品で、8組のうち4組は建築当初から吊られていたもので、残り4組は改修時に修理されたもの。当初はガス式灯具を導入していましたが(現在でもガスコックが残る)、1922年(大正11年)皇太子行啓の際に、伝統に切り替えられました。

 明治、大正、昭和、平成と4代にわたり天皇家が訪れた由緒ある建物は、現在まで2万組以上が挙式を挙げた結婚式会場として、広く市民に親しまれています。

www.sapporo.travel

 現在は、館内の喫茶室「ハルニレ」で雰囲気を楽しみながら時間を過ごせるようになりました。明治期の雰囲気を味わえるのも、楽しみのひとつですね。

 

 

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