「観るだけ美術部」部長のブログ

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あしたはきょうより、きっといい日。

[街並み]★白老八幡神社標柱(白老八幡神社境内)

(白老八幡神社に残る標柱。「郷社八幡■■」と読める)

★白老八幡神社標柱(白老八幡神社境内)

 白老八幡神社の前身は320年以上も前に創建された「弁財天社」とされています。(『東蝦夷日誌』1700年(元禄13年))。のち『蝦夷日誌』(1789年(寛政10年))に「シラヲイ川舟、シラヲイ泊、弁天社あり」との記載が見つかっています。やがて1860年(万延元年)、場所請負人野口(屋)又蔵が誉田別神(八幡大神)を勧請し、八幡神社と称しました。1875年(明治8年)には豊受姫神(稲荷大神)を合祀し、白老・敷生・社台3村の白老郡郷社となり、1915年(大正4年)に旧社殿を新築しました。

(白老八幡神社に残る「誉れの水松」)

 境内には、明治天皇行幸した際、その枝ぶりを褒めたたえたとされる「誉れの水松」が移植されているほか、社殿には多くの社宝が残されています(「誉れの水松」については、別記事にて再度取り上げる予定です)。

 

※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、ブログ運営者がみずから撮影したものです。

あしたはきょうよりもっといい日。