「観るだけ美術部」部長のブログ

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あしたはきょうより、きっといい日。

[道外展]★畦地梅太郎 わたしの山男展

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畦地梅太郎 『小雪渓』、1955年)

畦地梅太郎 わたしの山男展

 東京/町田市立国際版画美術館、2019年7月6日(土)-9月23日(月・祝)

(WEBサイト→)

「山の版画家」、畦地梅太郎(1902-99)。自ら山を歩き、その経験から生み出した作品で、今も広い世代の人々に愛されています。1970年代中頃に移り住んだ町田市鶴川で晩年を過ごし、町田市の名誉市民ともなっています。

 愛媛の農村に生まれ、16才で故郷をあとにした畦地はさまざまな仕事についたのち、 版画をつくり始めました。創作版画運動の先達や仲間たちにならい、都会や故郷の風景を描いていた畦地がたどりついた主題、それが「山」でした。浅間山石鎚山…、決して大きいとはいえない版画の画面に、大きく力強い山のすがたを描き、「山の版画家」としての評価を確立しました。

 

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 その畦地の表現を一変させたのが、「山男」の登場です。1952年の国画会秋季展で発表した「山男」の作品は、それまでの山の風景に親しんでいた人びとに驚きを与えました。素朴で温かな山男は人々の心をつかみ、「山男」は畦地作品の代名詞となっていきました。

 畦地は自らの表現と造形を追求し、常に先に進もうとした版画家でした。自身が齢をかさね、時代とともに美術表現が移り変わっていくなかでも、自分自身の心をうつものを表現することに真摯にとりくみつづけました。「山男」シリーズを中心とする100点の作品を通して、畦地が「山男」を通じて伝えたかったものは何かを探ります。

 

※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、町田市立国際版画美術館さま(HP)よりお借りしました。

 

あしたはきょうよりもっといい日。