「観るだけ美術部」部長のブログ

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[建築物]★旧有島武郎邸 建物探訪バスツアー.1

 ★旧有島武郎邸 建物探訪バスツアー.1
 木田金次郎美術館、2010年11月14日(日) 岩内出発10:00
 札幌にゆかりの深い文豪、有島武郎。1913年(大正2年)に建てられた邸宅が、当時の姿そのままに、芸術の森に移築復元されています。館内には、有島武郎の様々な資料が展示されています。
 有島武郎は、近代日本文学を代表する優れた作家ですが、『カインの末裔』『生まれ出づる悩み』『星座』など、その代表作のほとんどが北海道・札幌を舞台にしており、これらの作品が北海道文化に与えた影響の大きさには計り知れないものがあります。北海道文学の恩人といわれるゆえんです。 このことは、札幌農学校学生時代と、母校東北帝国大学農科大学教授時代の合せて12年間にわたる、その生涯の最も重要な青・壮年期を札幌で過したからにほかなりません。手帳のなかに、「我が真生命の生れし故郷ハ実ニ札幌なりき」と記しているように、この地を愛した武郎でした。
 
 1913年(大正2年)、永住する気持ちで、有島は自分のプランをもとに設計した大きな家を建てましたが、それがこの家です。 愛妻が病に倒れたため、心ならずも札幌を去ったあと、この家はいくつかの曲折を経て、戦後の1960年(昭和35年)からは北海道大学の所有となり、「有島寮」として利用さていました。1983年(昭和58年)、北大では廃寮と同時に、この建物を取りこわすことにしましたが、これを惜しみ、保存を望む市民の動きも起きました。 この建物が、文学史的にはもとより、建築史的にも、大正期を代表する貴重なものだったからです。市民の保存運動が実を結び、ここ「札幌芸術の森」に復元されることで、札幌の誇る文化的遺産は、永久に保存されることになりしました。
 
 建物の特徴としては、マンサード屋根(腰折れ屋根)が特に目を引きます。マンサード屋根の小屋裏は、2階居室になっています。マンサード屋根住宅は、大正以降の札幌で流行するのですが、有島邸は、そのうちでも最も早い例なのです。 有島邸は、モダンな洋風住宅の先駆けとなるものであったとも言えます。 今回の建物の移築・復元にあたっては、できるだけ創建時の様式に復するように努力が払われたといいます。

★木田金次郎美術館「旧有島武郎邸 建物探訪バスツアー」HP
★札幌芸術の森有島武郎旧邸HP
 
※なお、北海道開拓の村には、今回紹介した以前に住んでいた「旧有島武郎邸」が移築・保存されています。こちらも、近々紹介する予定ですので、お楽しみに!
 
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