「観るだけ美術部」部長のブログ

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[鉄道遺産]★伊達紋別駅 駅舎主屋(鉄道遺産25)

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 ホームには巨大な兜が展示され、「伊達」の由来についての説明板があります。本州的な雰囲気は、北海道随一と言ってもいいでしょう。
 伊達市は1972年(昭和47年)に市制を施行した新しい市で、伊達紋別駅には特急北斗・スーパー北斗も停車します(通過する便もあり)。壮瞥、大滝、喜茂別、京極を経由して、倶知安に至る旧国鉄胆振線の分岐駅でしたが、胆振線は昭和61年10月31日に廃止されました。現在は、胆振線にほぼ沿ったルートで道南バスが伊達駅前-倶知安駅前間にバスを運行しています。旧胆振線の跡地は、サイクリングロードになり、さくらの季節は美しいです。
 単式・島式2面3線のホームを持ちます。改札口側が3番ホームと通常と逆。1番のりばに残る切欠ホームの跡が、胆振線の名残です。駅舎は、1940年(昭和15年)の開業当時のものと推定されています。漆喰の壁にハーフティンバー様式の外観。駅舎のやや左側には、お洒落な腰折れ屋根の様式を持つ張り出し部分が見られます。待合室の天井には、大型の枡格子天井が見られ、風格があります。枡型の中心部分に、かつては照明が付いていたのでしょう。
「伊達」の名前は1870年(明治3年)以降、宮城県亘理町から団体移住した亘理藩主・伊達邦成にちなんでいます。旧士族は、道内各地に移住しているのですが、伊達市は特に成功をおさめたところで、市内には現在でも旧伊達迎賓館や、旧三戸部家住宅(最古の開拓農家、重文)、伊達家の菩提寺・大雄寺なども残っています。また、近年は商店街が城下町風の外観に統一されています。
 
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(旧伊達迎賓館、隣接して伊達市開拓記念館があります)
 
 ★「観るだけ美術部員」のブログ、「古寺巡礼17、伊達大雄寺」紹介ページへのリンク
 
※なお、このページに掲載した画像は、ブログ運営者がみずから撮影したものです。
 
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