「観るだけ美術部」部長のブログ

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[汽車旅]★洞爺湖電気鉄道の廃線跡をゆく

洞爺湖電気鉄道の廃線跡をゆく
 
 洞爺湖電気鉄道(とうやこでんきてつどう)は、かつて北海道虻田町(現在の洞爺湖町)の町内を通っていた鉄道路線です。1928年(昭和3年)、鉄道省長輪線(現在の室蘭本線)の静狩-伊達紋別間が開通し、虻田町の町域南部に虻田駅(現在の洞爺駅)が開設されることが決定したのを受け、長輪線と町域中央部の洞爺湖南岸にある洞爺湖温泉を結ぶ目的で計画されました。
 しかし、胆振縦貫鉄道が洞爺湖電気鉄道に並行する形で伊達紋別-徳瞬瞥間(のちの胆振線)が開通したことに加え、この路線は急勾配・急曲線が多いため、軌条の摩耗が激しかったこと、更には太平洋戦争による資材価格の高騰により軌条や枕木の入手が困難になったことも手伝って、1941年(昭和16年)に廃止されました。営業は実質、13年ほどでした。
 
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 これは現在の洞爺駅です。2008年に「北海道洞爺湖サミット」が開かれたことでも有名。駅には、各国の旗が並べられています。洞爺湖電気鉄道は、ここが始発となっていました。ホームの跡は残っていませんが、駅を出てしばらくすると、わずかに線路跡が残っている部分もあります。
 線路は途中、唯一の駅舎「見晴駅」を経て洞爺湖湖畔に到ります。2度の有珠山噴火のため、旧見晴駅周辺は激しく造山運動を繰り返したため、現在は立ち入り禁止。当時の線路跡調査は不可能になっています。おそらく、遺構はまったく残っていないでしょう。
 
 
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 洞爺湖湖畔にも、当時の遺構は残っていません。しかし、現在の遊覧船乗り場が「駅前桟橋」となっているのは、当時の名残りなのです。この名前だけでも、ここに駅があったという証拠になります。桟橋は、駅舎主屋のすぐ近くにありました。
 
※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、ブログ運営者がみずから撮影したものです。
 
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