(旧紋別駅駅前(跡地)にあるモニュメント。右端に見えるのは、名曲『銀色の道』の記念碑)
紋別駅(もんべつえき)は、紋別市にあったJR北海道名寄本線の駅(廃駅)です。名寄本線の廃線に伴い、1989年(平成元年)に廃駅となりました。名寄本線最大の駅であり、中間駅として唯一みどりの窓口も設置されていました。札幌駅から紋別駅まで直通する急行列車「紋別」をはじめ、網走駅-紋別駅-興部駅間の急行「天都」(網走市の天都山より命名)が停車したほか、渚滑線の列車の多くが当駅まで乗り入れていました。
また、1943年(昭和18年)から1948年(昭和23年)の短い期間でありましたが、南西方向の藻鼈川(モベツ川)上流の鴻之舞鉱山から、簡易軌道の鴻紋軌道が、本駅裏に駅を設けて接続していて、人や物資を運んでいました。名曲『銀色の道』のモデルとなったとされる路線です。名寄本線の廃止後は、駅舎跡地は更地となり、駐車場となったり、温浴施設が建てられたりしました。当時の紋別駅を偲ぶ遺構はまったく残されることなく、そのことを寂しく思ったものですが、ようやく最近になって、機関車の動輪を模した、蒸気機関車の写真付きの説明書が付いたモニュメントが建立され、当時を偲ぶことができるようになりました。(2012.8.12.現状を確認)
また、1943年(昭和18年)から1948年(昭和23年)の短い期間でありましたが、南西方向の藻鼈川(モベツ川)上流の鴻之舞鉱山から、簡易軌道の鴻紋軌道が、本駅裏に駅を設けて接続していて、人や物資を運んでいました。名曲『銀色の道』のモデルとなったとされる路線です。名寄本線の廃止後は、駅舎跡地は更地となり、駐車場となったり、温浴施設が建てられたりしました。当時の紋別駅を偲ぶ遺構はまったく残されることなく、そのことを寂しく思ったものですが、ようやく最近になって、機関車の動輪を模した、蒸気機関車の写真付きの説明書が付いたモニュメントが建立され、当時を偲ぶことができるようになりました。(2012.8.12.現状を確認)
※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、ブログ運営者がみずから撮影したものです。
↓いつも足しげく訪問していただき、ありがとうございます。きょうも1クリック、よろしくお願いします。