「観るだけ美術部」部長のブログ

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[陶芸展]★市川龍仙 いま蘇る元禄鍋島展

★市川龍仙 いま蘇る元禄鍋島展
 丸井今井札幌本店、2011年10月19日(水)-10月24日(月)
 世界を魅了した「伊万里焼」は、1616年(元名2年)に有田泉山の地に朝鮮人陶工・李三平が磁器の原料となるカオリン質の高い磁石を発見し、日本初の磁器を製造したことに始まりました。有田で焼かれた磁器は、伊万里港で船に荷積みされ、日本だけでなく世界各地へと出荷されていきました。このことから、有田で作られた焼き物のことを「伊万里焼」とも呼ぶようになりました。
 1675年(延宝3年)、鍋島藩庁は、領内に13あったという民間窯から、優れた陶工を大川内山に集め、藩窯を始めます。藩という強大な組織のもと、最良の原料、最良の環境、優秀な職人が揃い、よいものを作る条件が揃っていたとされています。試行錯誤の結果、余白を活かして文様を描いた「中央白抜きの構図」へと作風は変化。その余白の取り方は絶妙で、リラックスムードを見る者に与えることを計算して作られていました。この境地まで到達できたのは、研ぎすまされて安定した技を持つ鍋島だけであったと言っても過言ではないでしょう。ここに、「盛期鍋島」という世界最高峰の磁器が誕生したのでした。
 市川家は、その「鍋島」の技術を支えた陶工の血筋を継承する名家でした。しかし、安泰と見えた鍋島藩窯にも大きな転機を向えることになります。1971年(明治4年)、廃藩置県とともに鍋島藩は消滅、この陶工たちは、その拠りどころを失ってしまうのです。この危機的状況の中、市川家の先祖・卯兵衛は、ほそぼそながらも作陶を続け、一族秘伝の技術を後世に伝えました。本展で紹介される龍仙氏は、名門家系の市川姓を襲名。卯兵衛より数えて、6代目にあたります。龍仙氏は、再現不可能といわれた色鍋島の技術を伝承し、新しい感覚の創作にも意欲を燃やしてきました。このことから、氏は『平成鍋島』の旗手とも言われており、大川内鍋島の数多い窯の中でも、最も注目されている人物です。
 
丸井今井札幌本店、美術工芸ギャラリーHP
 
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