「観るだけ美術部」部長のブログ

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[建築物]★有珠善光寺 旧跡・本堂・客殿・鐘楼

有珠善光寺全景。向かって左側が本堂、右側が客殿(旧庫裏))

有珠善光寺伊達市、現存、国指定史跡、重要文化財所蔵。北海道遺産)
 浄土宗の寺院。826年(天長3年)、比叡山の僧であった慈覚大師が、自ら彫った本尊阿弥陀如来を安置し、開山したとする伝説が残されています。
 1613年(慶長18年)、松前藩主5代慶広が、祈願所(如来堂)の再興を図り小さなお堂を造ったのが起源。その後、1804年(文化元年)徳川家斉の指示により、「蝦夷三官寺」のひとつとして、正式な建立をみました。江戸の芝増上寺の末寺です。1836年(天保6年)に改築がされています。

有珠善光寺本堂。1804年(文化元年)の建築と言われる)

 

 1974年(昭和49年)境内一帯は、江戸時代後期に歴史的な役割を果たした寺院として重要であり、また、本堂は江戸時代の2度の有珠山噴火からも難を逃れて、ほぼ原型をとどめ、江戸時代のたたずまいを今日に伝えると言う理由で、国の史跡に指定されました。また、2007年(平成17年)、所蔵する宝物のうち、念仏のアイヌ語訳を併記した「版木」、また、本山の知恩院を通じて増上寺の僧侶に対して有珠善光寺に赴任するように発行された任命書である「綸旨」など62点が、国の重要文化財に指定されました。さらに、鎌倉時代に製作された釈迦如来大仏(道指定文化財)、円空上人の鉈作りの観音菩薩(同)などの文化財・宝物が数多く残されています(宝物殿にて見学ができます。要予約)。

有珠善光寺客殿(旧庫裏)。1836年(天保7年)の改築部分とされる)

 

 1983年(昭和58年)に大規模な修復が行われています。本堂の屋根は茅葺きに復元され、客殿(旧庫裏)と玄関も旧態依然に戻されました。寄棟造りの本堂は規模が正面6間、側面10間で、さらに正面と側面に縁側を巡らし、正面には向拝が延びています。後輩の柱上部には出三斗が乗り、木鼻、蟇股、海老虹梁には繊細な彫刻が施されています。本堂の外壁は白漆喰で仕上げ。客殿の和室から縁側に出ると庭園が見えるのですが、初夏にはあじさいが見事です。客殿の和室は4間取りで、襖を取り払うと広い座敷になります。客殿の板敷きの居間から見上げると、屋根組と茅葺き屋根独特の縄組がよくわかります。境内の鐘楼堂は1897年(明治30年)の建築、地蔵堂は1919年(大正8年)の建築です。

織部灯籠。7代公廣からの迫害を受けたキリシタンによるものだそう)

 

 古くから桜の名所として知られ、昭和初めには、有珠駅前から寺域まで、数kmにわたって桜並木が続いていたそうです(その多くは、戦後の混乱期に燃料として伐採されてしまった)。花見は、庶民の数少ない娯楽のひとつで、季節になると「桜列車」が出るほどの賑わいだったと言います。もちろん、いまも境内に咲く桜を観に、多くの観光客が訪れます。
 そして、忘れてはならないのが、名木「石割桜」です。樹齢180年以上とされ、北海道の記念保護樹木に指定されています。 根が石を割り、幹や枝を伸ばす景観は、生命の力強さを感じさせます。いまは、数年掛けて治療に当たっています。公園には、サクラの樹木を中心に60種、約2万本が植えられています。

(本堂のあたりも綺麗ですが、少し上ったところにある「石割桜」が有名)

 

 桜の咲くころになると、善光寺の境内に楽しげな屋台が立ち並びます。に2005年に始まった「善光寺門前市」です。ここでのおすすめは、善光寺のお土産に欠かせない「鰐口(わにぐち)最中」。鰐口とは、お寺の軒下などに掛け、つるした綱で打ち鳴らす道具で、銅や鉄などで作られます。善光寺の鰐口は、1638年(寛永15年)に、松前藩から奉納されたもの(道指定文化財)。鰐口最中は、この鰐口をかたどった由緒正しい最中なのです。

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▢なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、ブログ運営者がみずから撮影したものです。

 

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