「観るだけ美術部」部長のブログ

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[特別展]★古代エジプト ライデン国立古代博物館所蔵展

古代エジプト ライデン国立古代博物館所蔵展

 北海道立近代美術館、2022年7月10日(日)-8月21日(日)

(WEBサイト→)

artmuseum.pref.hokkaido.lg.jp

 オランダ最古の大学都市ライデンの中心部にあるライデン国立古代博物館は、オランダ王国の初代国王ウィレム一世によって1818年に設立された、200年以上の歴史を誇る博物館です。17世紀前半にライデン大学が所蔵していた遺物を基盤としたエジプト・コレクションは、現在ではおよそ2万5千点にのぼり、ヨーロッパにおける5大コレクションのひとつとされています。

古代エジプト ライデン国立古代博物館所蔵展)

 また、同館は現在に至るまで60年以上にわたり発掘調査を行っていることでも広く知られています。1960年代にアスワン・ハイ・ダムが建設された際、オランダはユネスコと共に周辺地域における考古学調査の支援を行いました。その活動を通してエジプト政府との良好な関係が生まれ、遺物の一部を持ち帰ることが許されたほか、ダムの湖底に沈む運命であったタフェー神殿はオランダに贈られ、現在ライデン国立古代博物館の1階ロビーに移築されています。また、1790年代からカイロ南西部に位置するサッカラでの発掘調査を現在に至るまで継続し、ツタンカーメン王の側近であったマヤの墓の調査など、世界をリードする研究も多数進められています。

(『ホルネジィトエフのカノポス壺入れ』、グレコローマン時代、ライデン国立古代博物館)

 サッカラは古代のエジプトで最初に都が置かれたメンフィスの墓地です。ここには王や庶民が前3000年ごろの初期王朝時代から埋葬されました。ライデン国立古代博物館は、新王国時代第18王朝から第19王朝にかけての墓から出土した彫像やレリーフの最も重要なコレクションのひとつを所有しています。これらの遺物は、ライデン大学に19世紀初めに到着しましたが、当初はその正確な出土地が判明していませんでした。

(『ホルの外棺』、後期王朝時代、ライデン国立古代博物館)

 そこで1975年にイギリスのエジプト探査協会と共同の調査隊を組み、同館所蔵のマヤとメリトの著名な彫像がもともと置かれていた墓を再発見するべく、調査を開始。手始めに、それらの墓にまだ近づくことが可能だった130年前にドイツのレプシウスによって描かれた、サッカラの地図を参考にしました。レプシウスはドイツにおける古代エジプト研究の祖というべき人物で、彼が率い、1842年から45年にかけて調査したエジプトの様々な遺跡の記録は大著『エジプトとエチオピアの記念物』として出版され、現在でもなお多くの研究者によって参照されています。調査は現在でも継続して行われており、特にサッカラにおける発掘調査はトリノ・エジプト博物館と共に進められています。

(パディコンス『死者の書』第3中間期、ライデン国立古代博物館)

 本展では、ミイラ棺の研究で世界的に知られるライデン国立古代博物館所蔵の貴重なミイラ棺10数点の借用が実現しました。これだけの棺を一堂に展示する機会は国内で他に例がありません。さらに本展では、棺を横に寝かせた状態ではなく、特別に立てた状態で立体的に展示する予定です。これにより、棺に記された「死者の書」などの呪文や、様ざまな神々の図像、さらには精緻な装飾や制作の技法、色彩の豊かさや書体の違いまでを間近に観ることが可能になりました。これらの棺は死者のミイラを物理的かつ呪術的に保護するものとして制作され、墓に収められました。当時のエジプトでは貴重だった木材や、パピルスや亜麻布を漆喰などで重ねたカルトナージョなどを用い、入れ子にした複数の棺も作られました。死後も来世での生活が続くと考えた古代エジプト人は、棺に多くの神々や死者の安寧を願う呪文を記したほか、棺を一つの宇宙的な存在と考え、「母」であると共に天空の女神でもあったヌウトや、再生復活のシンボルであるスカラベなどが描かれることもありました。

 本展では、多くの棺を一堂に展示することで、装飾や神々の姿、呪文の変化などから人々と来世の関わりが移り変わっていく様を紹介します。

(「王妃パウティのピラミディオン」、新王国時代、ライデン国立古代博物館)

※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、北海道立近代美術館さま(HP)よりお借りしました。

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