「観るだけ美術部」部長のブログ

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あしたはきょうより、きっといい日。

[旅グルメ]★藩主料理(松前町/温泉旅館矢野)

 新型コロナウィルス流行の影響で、北海道もたいへんなことになっております。例年であれば、この時期は、北海道は桜の咲く季節。北海道で桜の名所と言えば、松前町です。北海道で唯一の城下町。お城と桜って、相性がよいですよね。そんな松前町にある「温泉旅館矢野」さんで提供される「藩主料理」を取り上げます。

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松前藩主の婚礼料理をアレンジ。前日までの予約が必要です)

 こちらが「藩主料理」です。14代藩主、松前徳廣(1844年-1868年)の婚礼(文久2年、1862年)料理を、古文献をもとにして再現したお膳で、北前船交易で繁盛した松前藩の特徴がよく表れているそうです。

 お膳の中央にある「寄せ豆腐」は、もともと上方(京都)料理。松前藩は当時の幕藩体制では北のはずれでしたが、じつは「北前船」による交易を通じて上方(京都)と直接結びついていました。つまり、上方(京都)の産物と共に、上方(京都)や北陸地方の文化や風習も伝わってきたのです。「寄せ豆腐」はそのひとつで、松前では現在でも郷土料理のひとつとして根付いているそうです。

 その下にあるのが「味付けいくら」。御膳右上にある「数の子」と同様、いくらには元来、子孫繁栄の意味が込められていました。その右にあるのが「白酒」ですね。

 その上にあるのが「けいらん」。「けいらん」は、あんこなどが中に入った餅(あんもち)で、鶏の卵、つまり「けいらん」に似ていることから名づけられました。南部地方(岩手県北部と、青森県東部)から伝わった料理です。それをお吸い物に入れ、冠婚葬祭などの様々な場面で供されたそうです。いまで言うとデザートですね。

 その上にあるのが「鰊(ニシン)、数の子、果物」。鰊(ニシン)は、前述の北前船交易で蝦夷地からの主要産物でした。ですが、食用ではなく、「鰊(ニシン)粕」つまり木綿栽培などの肥料として出荷されていました。この鰊(ニシン)交易で、松前藩は莫大な富を築きました。なお、明治期においても鰊(ニシン)の豊漁は続き、現在でも檜山や後志、留萌などには鰊御殿が残っています。数の子にも、子孫繁栄の思いが込められていました。

 古文献によると果物は、当時は「蜜柑」でした。婚礼は2月末のことでしたが、北海道では果物が全く採れず、また北前船で運ぼうにも時間がかかってしまうため、紀州和歌山県)から早馬で青森まで届け、そこから荒海の津軽海峡をわたって運ばれたそうです。まさにお殿様の婚礼料理!

 その左にあるのが「くじら汁」。松前など道南の郷土料理と言えば「くじら汁」です。「観るだけ美術部」部長の出身地(後志西部地方)でも、お正月に食べられていました。その隣にあるのは「煮物」。煮物は当時から、油揚げなどを保存食として食べていました。

 その下にあるのが「あわびご飯」。「あわびご飯」には贅沢にも、大ぶりのあわびがまるごと入っています。高級食材「蝦夷あわび」を、するめと昆布で風味豊かに炊き込みご飯にしています。松前は「蝦夷あわび」の名産地のひとつです。

 「あわびご飯」の下にあるのが「松前漬け」。「松前漬け」は、松前を代表するお料理。松前では、家々で異なった「松前漬け」を作っており、それぞれの味を楽しむのも面白いですね。「矢野温泉旅館」では、女将と若女将がそれぞれ違った味付けをしているのだとか。

 お膳に並んだお料理のひとつひとつに、松前藩政時代からつながる歴史文化が込められています。

 なお、こちらの藩主料理は1名3240円。ランチメニューとして、また夕食として味わうこともできますが、予約が必要になっています。

あしたはきょうよりもっといい日。