「観るだけ美術部」部長のブログ

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[美術展]今田敬一の眼-北の風土と美術 展

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                  今田敬一『少女』1925年、北海道立近代美術館所蔵               

★今田敬一の眼-北の風土と美術 展
 北海道立近代美術館、2010年2月20日(土)-2010年4月11日(日)

 大正末期まで、北海道最大規模の美術団体は、北大「黒百合会」だったと言われています。その黒百合会、そしてその後の北海道美術界を牽引した「道展」の設立に深く関わり、北海道美術の記録者でもあったのが、今田敬一(こんだ・けいいち)です。今田は、幼少期に秋田から北海道に渡り、札幌で育ちました。自然豊かな北の町で育った少年今田は、その美しさに惹かれ、ここを本拠に絵を描きたいと思うようになります。当時、北大の近くにあった札幌中学(現在の札幌南高校)では、敬虔なクリスチャンでもあった林竹治郎に図画を学んでいます。長く教鞭をとった林は、今田や、多くの卒業生から恩師として慕われていた人物で、代表作「朝の祈り」で、第1回「文展」で、北海道からただ1人、入選を果たした洋画家でもあります。
 さて、今田はその後、北大(当時は東北帝国大学農科大学)進学後、林学を専攻し、美術部黒百合会に所属します。黒百合会は、絵画好きな学生たちが、教官であった有島武郎と共に創設した美術部でした。同好会ではありましたが、有島武郎を通じて文芸雑誌『白樺』と繋がりを持ち、札幌の人々に、印象派後期印象派など、当時の新しい美術動向を伝える機能を果たしていました。今田が入学したとき、有島はすでに札幌を離れていましたが、まだ創設当時の雰囲気は色濃く残っていました。当時の黒百合会は、移動展や合同展を積極的に開いており、今田は能勢真美や、本間紹夫など、学外にも絵画仲間を増やしていきました。1925年(大正4年)全道規模の北海道美術協会(道展)が創設されますが、今田はその中心人物の1人でもありました。
 大学に残って研究者となった今田は、10年以上も黒百合会の顧問を務め北海道の美術発展に貢献していきます。1961年(昭和36年)北海道立美術館(現在の北海道立近代美術館の前身)の創設にも力を尽くしました。
 本展覧会は、近代美術館が収蔵している資料を中心に、今田敬一の眼を通して見た北海道美術の流れを紹介するものです。

★「観るだけ美術部員」のつぶやき
 この展覧会は、企画展「吉村作治とエジプト展」と同時開催されているものですが、ある意味では、それ以上の注目展覧会だと言えます。今田敬一『少女』をはじめ、有島武郎『やちだもの木』、林竹次郎『朝の祈り』、能勢真美『青い鳥』など、北海道美術史を彩った作品群が一堂に会して展覧されます。お勧めの展覧会です。

★北海道立近代美術館 HP
http://www.aurora-net.or.jp/art/dokinbi/exhi/collection/collection_new.html
あしたはきょうよりもっといい日。