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[特別展]★岸田劉生の軌跡 油彩画・装丁画・水彩画を中心に 展

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岸田劉生 『村娘の図』、1919年(大正8年)、笠間日動美術館
 
岸田劉生の軌跡 油彩画・装丁画・水彩画を中心に 展
 北海道立旭川美術館、2013年6月7日(金)-7月18日(木)
 
 笠間日動美術館のコレクションの中から、油彩、水彩、素描、日本画、装丁画、版画、陶器そのほか、岸田劉生(1891-1929)の作品及び資料130余点を紹介いたします。
 岸田劉生は、岸田吟香と勝子の四男として東京に生まれました。父、吟香は、ヘボン博士のもと、日本で最初の和英辞書『和英語林集成』の編集を助けたことなど多彩な活動で知られています。14歳の年に父と母を相次いで失った劉生は、中学校を中途退学の後、洗礼を受け、数寄屋橋協会で日曜学校の先生をしながら絵画を学び始めました。白馬会洋画研究所に通い、黒田清輝に油彩画を学んで白馬会展や文展に出品するなか、劉生は文芸同人雑誌『白樺』に掲載されたゴッホセザンヌの作品に魅せられ、『白樺』の同人や、劉生に「第二の誕生」をもたらした武者小路実篤と親交を結ぶようになります。『白樺』同人達の書物の装丁を手がけるようになった劉生は、「自分は図案といふものを必ずしも余技としていない」と語り、装丁の仕事に熱意をもって取り組みました。また後年劉生は日本画の制作を始め、宋元画に興味を持つようになり、顔輝の『寒山拾得図』の写真を見ながら娘の麗子を描くこともありました。劉生の「内なる美」は、油彩画のみならず、さまざまな表現のうちに追求されたのです。
 今回の展覧会は、劉生が、絵画と同等のものと考えて力を注いだ書物の装丁画、そして、日本画などを数多く見ることのできる、またとない機会となっています。「内なる美」を追求し、38年間という短い生涯において多岐にわたる制作を生み出した岸田劉生の軌跡を、新たな視点から捉えていただけることと考えます。
 
※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、北海道立帯広美術館さま(HP)よりお借りしました。
 
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