「観るだけ美術部」部長のブログ

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[特別展]★北海道美術にみる 出会いと創造展

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(林竹治郎 『朝の祈り』 1906年、
北海道立近代美術館所蔵)
 
★北海道美術にみる 出会いと創造展
 道立近代美術館、2011年4月16日(土)-5月22日(日)
 人は何かと出会ったり、発見することで感銘を受けますが、それは美術の作家たちにとっても、創造の原動力となります。北海道の美術も、そうした出会いが幾多の潮流を織りなして、創造の歴史を彩ってきました。
 たとえば、敬愛する師との出会い。1898年(明治31年)に来道し、札幌第一中学校(現在の札幌南高校)で美術教師として長く教鞭をとった人物に林竹治郎がいました。その林竹次郎に学んだ生徒に、三岸好太郎をはじめ久保守、俣野第四郎、長谷川昇、能勢真美など実に多くの「道産子第一世代」の画家や彫刻家がいます。なかでも三岸は、若くして独立美術協会で活躍し、1933年(昭和8年)に「北海道独立美術協会」の結成に指導者的立場で参画しましたが、ここに小山昇、植木茂、国松登ら10名が集い、三岸をリーダーとしてさらに北海道の美術の担い手らが育っていったのです。
 また、人として示唆を受け、生き方に影響を及ぼすという意味で、人生の師との出会いもあります。1907年(明治40年)に東北帝国大学農科大学(現在の北海道大学)の英語講師として来道した有島武郎は、文学者でありまた思想家でもありましたが、その豊かな感性ゆえ美術にも造詣が深く、北大で「黒百合会」を結成し、その活動を通して、北海道の美術界に大きな足跡を残しました。その有島の絵に深く感銘を受け、思い切って有島を訪ねたのが木田金次郎でした。その交遊をもとに有島の『生れ出づる悩み』が書かれ、有島の助言にしたがって,、木田金次郎は終生、岩内を離れることなく自然を描き続けました。このふたりの出会いは、突出して北海道の美術史を彩っています。
 作家をとりまくさまざまな出会い。それは豊かなイメージの源泉でもあります。その泉のほとりを歩くように、美術表現をゆったり楽しんでみませんか。
 
道立近代美術館、「北海道美術にみる 出会いと創造展」HP
 
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