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[文学展]★一原有徳 俳句と山岳小説の世界展

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一原有徳 俳句と山岳小説の世界展 一原有徳記念ホール開設記念展
 小樽市立文学館、2011年4月2日(土)-5月29日(日)
 現代版画家、俳句作家として知られる一原有徳さんは、優れた登山家でもあります。一原さんには版画作品集、俳句作品集がいくつもありますが、最も多いのが登山に関する著作であることはあまり知られていません。
 
1931年(昭和6年)ころから登山を始めた一原さんが道内の登山家に知られるようになったのは、ロッククライミングを楽しむ最適の岩場として、小樽赤岩山を系統的に紹介していったことによります。1947年(昭和22年)一原さんは登山仲間と小樽山岳会を作り、1950年(昭和25年)、日本山岳会北海道支部大会を機に、『赤岩山』を編集配布しました。26ページ、謄写版刷りの冊子でしたが、赤岩山の本格的なガイドブックとして評判となりました。
 一原さんはできるだけ職場を休まず、限られた休日を効率的に使うため、様々な山の登山ルートの研究に努め、実践していきました。その成果のひとつがガイドブック『北海道の山』1960年(昭和35年)です。全国各地の登山ガイドシリーズの一つとして執筆されたこの本は、徹底して社会人登山家の立場から書かれ、自筆のスケッチやルート図をふんだんに挿入し、「赤岩山の岩場」の項に30ページを割くなど、きわめて個性的なガイドブックでしたが、北海道の山を全国的に注目させ、登山家一原有徳の名を知らしめた名著となりました。
 一原さん自身も道内の登山に徹しました。1932年(昭和7年)ころ、石狩平野以南の道内1000メートル以上の山すべてを登頂するという目標を立て、半世紀以上をかけてほぼ成し遂げています。その間、登山中の大けが、大病を乗り越え、90歳に至るまで山行を続けました。
 
一原さんは、登山も版画や俳句と別のことではなく、一つの創作と考えてきたようです。一原さんを知る登山仲間は、その強靱な体力とともに周到な準備、緻密な計算に驚きます。また目に見えない小さな頂も読み取るといわれた地形図の読解力、初めて見る山容の写真が逆向きであることを指摘するなど卓抜な観察力も美術、文学と共通するものです。
 「一人で登ったときに見た頂稜の氷雪のかがやきは、到底絵画表現ではむずかしい」と語りながら、「(そうした)自然美より人工美にひかれる」と言い切り、あらゆる創作において、偉大な先人が踏んだ頂点をきわめられなくともその至峰にでもたどりつきたい、という創造力と探求心は、100歳の生涯を閉じるまで尽きることがありませんでした。
 
小樽市立文学館、「一原有徳 俳句と山岳小説の世界展 一原有徳記念ホール開設記念展」HP
 
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