「観るだけ美術部」部長のブログ

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あしたはきょうより、きっといい日。

[講演会]★瀬戸厚志「中原悌二郎と荻原守衛」

(中原悌二郎『若きカフカス人』、1919年、北海道立近代美術館

★瀬戸厚志「中原悌二郎と荻原守衛

 北海道立近代美術館、2022年8月21日(日)14:00

(WEBサイト→)

artmuseum.pref.hokkaido.lg.jp

 北海道釧路市に生まれた中原悌二郎(1888年-1921年)は、移り住んだ旭川や札幌で美術への傾倒を深め、絵画を学びます。北海道庁立札幌中学校では、美術教師だった林竹治郎に影響を受け、画家を志すようになりました。

(林竹治郎『朝の祈り』、1906年、北海道立近代美術館

 その後、21歳のときに荻原守衛と出会い、ロダンがもたらした力感溢れる表現に感激し、彫刻へ転向。重厚で力強い塑像表現を追求し、院展を中心に作品を発表すると、非凡な才能に注目が集まりました。

荻原守衛『坑夫』、1907年、中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館)

 その後、病のため旭川の養家で療養生活を余儀なくされながらも、制作の情熱は冷めず再上京。院展で受賞するなど評価が高まりつつあったさなか、32歳の若さで早世しています。没後、友人で彫刻家の平櫛田中が保管していた作品をもとに、融資によって組織された中原悌二郎遺作保存会が全作品を収集。1994年(平成6年)旧旭川偕行社を活用した中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館が開館し、その業績を展示・顕彰してきました。本展では、旭川市彫刻美術館、札幌芸術の森美術館の協力を得て、日本近代を代表する彫刻家・中原悌二郎の足跡を回顧いたします。

(中原悌二郎『老人』、1910年、中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館)

※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、北海道立近代美術館さま(HP)よりお借りしました。

あしたはきょうよりもっといい日。