「観るだけ美術部」部長のブログ

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あしたはきょうより、きっといい日。

[絵画展]★めざめるニッポンの油絵展.Ⅰ

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(画像は、高橋由一『鮭図』1879-80年)

★めざめるニッポンの油絵展
 北海道立帯広美術館、2010年6月18日(金)-2010年8月18日(水)

 幕末から明治、見たままを描く西洋の写実表現との出会いは、日本の美術に驚きをもたらしました。前史となる司馬江漢らの洋風画から、高橋由一黒田清輝まで、約170点の作品を集め、この時代の画家たちの研鑽と苦闘をたどります。 
 本展覧会は実業家の山岡孫吉(1888年-1962年、ヤンマーディーゼル創業者)によって蒐集されたコレクションを中心に、洋画の草創期を振り返るものです。山岡コレクションは、日本近代洋画史の貴重な宝庫として、長らく一部の者のみが知る幻のコレクションとされていましたが、近年一般公開され、日本各地の美術館で順次公開されることになった貴重なものばかりです。

★北海道立帯広美術館「めざめるニッポンの油絵展」HP
http://www.dokyoi.pref.hokkaido.jp/hk-obimu/index1.html

※ 高橋由一について(Wikipedia
 高橋由一(たかはし・ゆいち)は、1828年(文政11年)生まれ。近世にも洋画や洋風画を試みた日本人画家は数多くいたが、由一は本格的な油絵技法を習得し、江戸後期から明治中頃まで活躍した、日本で最初の「洋画家」といってよいであろう。
 父は新陰流剣術師範の佐野藩(佐倉堀田藩の支藩)士で、由一は江戸藩邸に生まれた。幼児の頃から日本画狩野派、北宗画)を学ぶが、石版画に接して強い衝撃を受けて洋画の研究を決意。1862年(文久2年)に蕃書調所の画学局に入局し、川上冬崖に師事した。本格的に油彩を学ぶことができたのは、1866年(慶応2年)当時横浜に住んでいたイギリス人ワーグマンに師事したときで、翌年にはパリ万国博覧会へ出展している。
 明治時代に入り、民部省の吏生や大学南校の画学教官など官職を務めるが、1873年(明治6年)には官職を辞して、画塾である天絵舎を創設し、原田直次郎や高橋源吉ら多くの弟子を養成する。1876年(明治9年)には、工部美術学校教師として来日したイタリア人画家アントニオ・フォンタネージに師事する。
 1879年(明治12年)に金刀比羅宮で開かれた「第2回琴平山博覧会」では、天絵舎に資金援助してもらうため作品を出品し、会期終了後に全作品を金刀比羅宮に奉納した。そのため、金刀比羅宮は由一の作品を27点収蔵しており、現在は「高橋由一館」に展示されている。
 人物、風景などの作品もあるが、代表作として筆頭に挙げるべきは『鮭図』であろう。極端に縦長の画面に縄で吊るされ、なかば身を欠き取られた鮭のみを描いたこの作品は、「西洋の模倣ではない、文字通り日本人の油絵になっている」と評されている。1879年(明治12年)には、元老院の依頼で明治天皇の肖像も描いた。
あしたはきょうよりもっといい日。