「観るだけ美術部」部長のブログ

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[駅グルメ]★中村のとりめし(美唄市)

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★中村のとりめし(美唄市
 きょう紹介するのは、駅弁ではありませんが、ご当地弁当とも言えそうなローカルグルメです。美唄市の地元グルメ「中村のとりめし」です。JAのほか、道の駅、砂川SAなどでも販売されております。
 「中村のとりめし」を語るには、明治時代にまで時計の針を戻さなければなりません。三重県滋賀県からの移民団が美唄市北西部の現中村地区に降り立ったのは、1894年(明治27年)年のことでした。リーダーは当時若干22歳にして、農場主でもあった中村豊次郎。のちに石狩川自動揚水機の開発に成功するなど、米どころ中村の基盤を築いた人物でした。
 中村豊次郎は小作人一戸につき、オス1羽・メス2羽の鶏を貸し出し、ひなが生まれたらそれを返させる方法で養鶏を奨励したそうです。こうした足跡から見ても、農家からの信頼はさぞや厚いものだったに違いないと思われます。中村地区の命名は、この豊次郎の姓に由来しています。

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 決して豊かとはいえない農家の台所事情でも、遠方からの友人や祝いごとの席はとっておきの料理でもてなしたいもの。そう考えた中村の人びとが、家庭で作り出したふるまい料理が、この「とりめし」のはじまりです。自慢の米と貴重な鶏を、当時高価だった砂糖、醤油、酒をふんだんに使って炊き上げた、当時としては豪華な逸品。いまでは、細かな味つけは家ごとに異なり、現在も各家庭で「わが家のとりめしの味」が受け継がれているといいます。

 現在は、JAびばい中村支所の「えぷろん倶楽部」の皆さんが製造、販売を行っています。商品化にあたり、最も時間をかけたのは、「中村のとりめし」として売り出す味を決めること。昔は濃い口が好まれましたが、ヘルシー志向の現代ではあっさり味が主流。幾度も試食を繰り返し、コクを残しつつ食べ飽きない味を完成させました。実際に食べてみると、鶏の脂でほどよくテリが出ているとりめしは見た目より薄味で旨味も十分。道内各地のイベントに出店するたびに行列ができることからも、その人気の高さがうかがえます。

※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、ブログ運営者がみずから撮影したものです。

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