「観るだけ美術部」部長のブログ

「観るだけ美術部」勝手に部長です。入部希望者は、コメント欄にメッセージを残してください。折り返し、勧誘に伺います(笑)。

あしたはきょうより、きっといい日。

[特別展]★居串佳一 生誕100年記念展

イメージ 1
(居串佳一 『船着場』 1932年、独立展初入選)
 
★居串佳一 生誕100年記念展
 網走市立美術館、2011年9月10日(土)-11月6日(日)
 水野佳一(みずのよしかず)は、1911年(明治44年)常呂郡野付牛村(現在の北見市)生まれ。度重なる災害のため、水野家は1919年に現在の網走市に居を移しました。目の前に広がるオホーツクの海を見て、佳一は船の絵などを描くようになります。尋常高等小学校では、林竹次郎に学んだ宮本金次に絵画の手ほどきを受けました。旧制網走中学校(現・網走南ヶ丘高等学校)卒業後は、一時測候所に勤めますが、両親の理解を得て画業に専念。そして1932年、当時日本画壇に旋風を巻き起こしていた独立展第2回に『風景』『船着場』で初出品初入選を果たします。独立展で、佳一は良き師や友にも恵まれ、若くして会友、会員となります。また、結婚して居串姓となり、以後画名は「居串佳一」(いぐしかいち)を使います。会員に推薦された1941年、有島武郎の弟・生馬の推薦で『弓』(100号)が、日本代表としてイタリア政府の買い上げとなります。
 こうして順風満帆な佳一でしたが、日本全体に不幸な時代が訪れます。佳一は従軍画家として1942年に満州(現・中国東北部)や、千島列島などに向かいます。敗戦後は故郷に戻り、第二天都山(車止内)にアトリエを建て、およそ5年間網走の風物を描きながら暮らします。再び上京し再起をかける佳一でしたが、1955年(昭和30年)札幌で急逝します。44歳の若さでした。
 本展は、網走市ゆかりの居串佳一が生まれて100年となったのを記念した展覧会です。
 
網走市立美術館、「居串佳一 生誕100年記念展」HP
 
↓いつも観ていただき、ありがとうございます。きょうも1クリック、よろしくお願いします。
¤ˤۤó¥֥�¼ Èþ½ѥ֥� ³¨²è¤Ø(ʸ»ú¤򥯥ê¥å¯)
あしたはきょうよりもっといい日。