「観るだけ美術部」部長のブログ

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[講演会]★作品解説「『近代西洋絵画の至宝』展によせて」

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マリー・ローランサンによる作品)
 
★作品解説「『近代西洋絵画の至宝』展によせて」 市民アートボランティアによる解説
 釧路市立美術館、2010年10月3日(日)、10日(日) 10:00-17:00 いつでも30分解説
 好評の『語り継がれる近代西洋絵画の至宝』展に合わせたギャラリートークです。このギャラリートークの特徴は、いつでも、鑑賞者の都合によい時間に、市民アートボランティアが解説してくれることです。いつでも、というのが嬉しいですね。
 マリー・ローランサンについて、いささか。マリー・ローランサンは、1883年(明治16年)に生まれ、夢見がちな少女時代ののちに、画家を志すようになります。アトリエ兼用の古いアパート、通称「洗濯船」で、ピカソアポリネールらとの伝説的な青春時代を送るうちに、「淡い色調と簡潔なフォルムによる憂いをたたえた詩的な女性像」という独自の画風を作り上げました。30歳になるころには、有望な新進画家として世に知られ、当時、パリに各国から集って「エコール・ド・パリ(パリ派)」と呼ばれた多くの芸術家たちの中でも、重要な一角を占めるようになったのです。
 ところが、31歳の結婚直後に始まった第1次世界大戦のため、その後7年間に及ぶ亡命生活を強いられます。愛する故郷や親しい友人たちとも離れたこの間の作品は、どれも痛いような孤独にあふれていました。
 戦後、離婚して単身パリに戻ってからのローランサンは画風を大きく変えます。それまで彼女の絵にぴったり寄り添っていた「憂い」を消し去り、繊細さと華やかさと官能性をあわせ持つ、夢の世界の幸せな少女像を生み出しました。再び戦争に向かう前のつかの間の爛熟した平和のひととき、「狂乱の1920年代」のパリで、ローランサンは時代の雰囲気の表現者となったのです。ローランサン肖像画を注文することが上流婦人の流行となり、また舞台装置や衣装のデザインなどでも成功を収めました。
 その後、第2次世界大戦では、パリを占領したナチス・ドイツ軍に自宅を接収される苦労も味わいながら、戦後を迎え、世の美術の動きがより急進的になっていくのを見守りながらも、静かな老いの中で、自らが信じる美しいものを描き続けて、1956年(昭和31年)に亡くなりました。
 
釧路市立美術館、「語り継がれる近代西洋絵画の至宝展」HP
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