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[陶芸展]★細川護熙 不東庵 創作の軌跡展

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細川護熙 不東庵 創作の軌跡展-パリ三越エトワール展を記念して
 三越札幌店、2010年9月21日(火)-9月27日(月)
 細川護熙(ほそかわもりひろ)氏は、1938年、東京生まれ。上智大学法学部を卒業。朝日新聞記者、参議院議員熊本県知事を経て、1993年79代内閣総理大臣に就任。政界を引退した後、神奈川県湯河原の自邸「不東庵」で陶芸を始めます。現在は、作陶のほか、書、画、漆芸、茶杓作りなども手がけているそうです。2001年以降、東京など国内各地、パリ、ニューヨークなどで個展を開催。現在は、公益財団法人「永青文庫(細川コレクション)」理事長。
細川家の歴史は、室町の管領時代にまで遡り、日本の美と深い関係にあります。現在の当主である細川護熙氏は、政界引退後、晴耕雨読の生活の中、陶芸や書に打ち込んでこられました。本展では、創作10年を記念し、楽、志野、唐津信楽、高麗など、多彩な技法による茶 や水指、花器に加え、「書」、「漆」、「竹芸」など、120余点を展覧いたします。本展は、フランス・パリ市内、凱旋門の側に位置する三越エトワールにて開催され、その後パリ展開催を記念して三越各店を巡回しており、札幌店での個展で締めくくられます。
 
もう少し、細川家の歴史を紐解いてみましょう。細川家は、足利尊氏のものとで武功を立てた細川頼春の子である頼有が、その祖とされています。頼有の兄である頼之は、中世細川一族の中心として、足利義満管領となり幕府政治の中枢を占めた人物です。管領細川氏の系統は、室町幕府の失墜とともに衰退しますが、それに変わり桃山時代という戦国の騒乱を背景に、頼有の末裔である細川藤孝、忠興が活躍することになります。藤孝は、織田信長の家臣となりやがて丹後国に築城します。又、子である忠興は、14歳で信長直筆の感状をもらうほどの武者ぶりで、当時、信長の信頼も厚かった明智光秀の娘である玉(細川ガラシャ)を妻としています。現在の細川家の礎は、この細川藤孝、忠興によって築かれました。細川護熙氏は、藤孝より十八代目となります。
細川家にとって最大の難題とも言えるのが、本能寺の変です。親戚関係にある明智光秀から謀反後、支援要請の手紙が届いたのです。しかし、藤孝はこれには応じず、出家を決意し息子・忠興に家督を譲り、妻・ガラシャは、山中に幽閉されました。周知の通り、その後、豊臣秀吉の天下となり忠興は大名の一人として豊臣家に仕えます。ガラシャは秀吉のとりなしもあり忠興と復縁しますが、関ヶ原の戦いの際、石田光成らの人質となることを拒み、死を選ぶことになります。徳川方「東軍」に属した細川家のためにとった選択でした。
 
三越札幌店、10階催事場「細川護熙 不東庵展-パリ三越エトワール展を記念して」HP
 
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