(ジョアン・ミロ 『女と鏡』(『デリエール・ル・ミロワール』誌、第93号、1956年)
★ジョアン・ミロ 版画展
北海道立帯広美術館、2010年8月28日(土)-10月24日(日)
20世紀を代表するスペインの巨匠ジョアン・ミロは、太陽や月からインスピレーションを受け、
詩的で自由な抽象世界を生み出しました。ミロ芸術の精髄ともいえる版画作品より、初期から晩年
までの約150点を紹介します。
詩的で自由な抽象世界を生み出しました。ミロ芸術の精髄ともいえる版画作品より、初期から晩年
までの約150点を紹介します。
ジョアン・ミロ(Joan Miró, 1893年-1983年)は、20世紀のスペインの画家。カタルーニャ地方出身。かつてスペインでは、カスティーリャ語以外の言語は公的には禁止されていたので(フランコ体制下)、カスティーリャ語式の読みで「ホアン・ミロ」と書かれることもしばしばあります。現在では、カタルーニャ語の原音を尊重して「ジョアン・ミロ」または「ジュアン・ミロ」と表記するのが通例。
ミロは、パリでシュルレアリスムの運動に参加したことから、シュルレアリストに分類されるのが通例だそうですが、彼の描く人物、鳥などを激しくデフォルメした有機的な形態、原色を基調にした激しい色使い、あふれる生命感などは、古典的・写実的描法を用いることが多いとされています。他のシュルレアリストの作風とは全く異なり、20世紀美術に独自の地位を築いているとも言われています。
ミロは1911年、18歳の時、うつ病と腸チフスを患い、療養のためカタルーニャのモンロッチという村に滞在しました。このモンロッチの村の環境が、ミロの芸術に大きな影響を与えたようです。彼はこの頃から画家を目ざすようになり、翌1912年、バルセロナの美術学校に入学。1919年にはパリに出、この頃からモンロッチとパリを往復しつつ制作するようになります。パリでは、ピカソやダダといった芸術家とも知り合い、また、シュルレアリスム運動の主唱者であるアンドレ・ブルトンと出会いました。
ミロの作風は、同じシュルレアリストでも、マグリットやダリらの古典的・写実的描写法とは全く異なる自由奔放なものですが、ブルトンは、こうしたミロの絵画こそが、真のシュルレアリスムであるとして共鳴し、ミロはシュルレアリストのグループに迎え入れられることとなりました。ミロは「画家」という肩書きにこだわって狭い世界に閉じこもることを嫌い、パリでは作家のヘミングウェイやヘンリー・ミラーなどとも交流があったそうです。
1930年代からはバルセロナ、パリ、マリョルカ島(スペイン領)のパルマ・デ・マリョルカにアトリエを持ち制作します。1944年からは陶器や彫刻の制作を始め、作品の幅を広げ、1956年にはパルマに大規模なアトリエを造り、作品の規模も大きくなっていきました。また、このアトリエでは、絵画以外の分野の職人との共同制作を行い、陶器、壁画、彫刻などを次々と生み出しました。晩年には、コンクリート製の大型彫刻や、壁画などのパブリック・アートの大作を数多く残しています。1970年には大阪万国博覧会のガス館に陶板壁画『無垢の笑い』を制作するため来日しています。1983年、アトリエのあるパルマで死去しました。
★「観るだけ美術部員」のつぶやき
「シュール・レアリズム」という分野の開拓者でもあるジョアン・ミロ。本展の下調べで、初めて知る画家でした。「シュール」な絵は、正直なところ、苦手です。しかし、そのよさをわかるようになりたい、とも思いますね。
★北海道立帯広美術館、「ジョアン・ミロ 版画展」HP
★北網文化センター「ジョアン・ミロ 版画展」HP
★「観るだけ美術部員」のブログ、「ジョアン・ミロ 版画展」(北網文化センター)紹介ページへのリンク
↓いつもポチ、ありがとうございます。きょうも暑かったですね。