「観るだけ美術部」部長のブログ

「観るだけ美術部」勝手に部長です。入部希望者は、コメント欄にメッセージを残してください。折り返し、勧誘に伺います(笑)。

あしたはきょうより、きっといい日。

[美術展]さまよえるユダヤの魂 展

イメージ 1

          ジュル・パスキン「荒野の騎手」1909、北海道立近代美術館所蔵(画像は同美術館HPより)

★「さまよえるユダヤの魂-シャガールとパスキン」展
 北海道立近代美術館、2009年10月28日(水)-2010年2月11日(祝)

 時代は世紀初頭。芸術の都パリには、自由な創造の場を求めて、多くの異邦人芸術家が次々と集まってきました。ピカソ、パスキン、モディリアーニシャガール、キスリング、スーチン、フジタ…。こうした一群の作家たちは、やがて年代に入ると「エコール・ド・パリ(パリ派)」という言葉をもって、呼びならわされるようになります。その頃、パリにいた芸術家はおよそ10万人、その6割以上を外国人が占めていたともいいます。そうしたなか、フランスの保守的な芸術家たちは、我が国の芸術、そして自分たちの立場が脅かされるという、不安にかられました。
 エコール・ド・パリの芸術家のなかにはまた、ユダヤの血をひく者たちが多く含まれていました。もともと定まった祖国をもたず、さまざまな国に暮らしていたユダヤ人には、その商才を生かして財を成した者もいました。しかし、世紀終盤フランスで起こった金融恐慌と、それにつづく軍事事件をめぐり、ユダヤ人に対する反感が募っていくことになります。エコール・ド・パリという呼び名が誕生した背景には、こうした、異邦人芸術家の増加に対する保守派の焦燥と反ユダヤ主義的な時代の感情とが存在していたのです。
 ロシアのヴィテブスクにユダヤ人として生まれたマルク・シャガールは、1910年パリに出ました。故郷への想いや民族愛に根ざしたモティーフ、旧約聖書ギリシア神話の主題、そして寄り添う恋人たちの姿を繰り返し描きましたが、とりわけ晩年の作品には、二度にわたる大戦を生き抜いた、ユダヤ人としての精神世界が反映されるようになります。
 ジュル・パスキンもまたユダヤ人として、ブルガリアのヴィデンに生まれました。ミュンヘンで挿絵画家として出発したのち、1905年パリに移住。第1次大戦時に渡米し、1920年以降をふたたびパリで送りました。ユダヤと関わりの深い宗教主題も取りあげる一方で、晩年には、古典への回帰をめざした1920年代フランス画壇の風潮と呼応するようにして、伝統的な画題である裸婦作品を数多く生みだしています。
 今回の展覧会では、こうしたエコール・ド・パリを象徴する2人のユダヤ人画家、シャガールとパスキンにスポットを当ててご紹介します。あわせてキスリングやスーチンら他のユダヤ人画家と、ドランやヴラマンクユトリロといったフランス人画家とを比較しながら、民族問題やナショナリズムを背景として展開した、両大戦間におけるフランス美術界の一断面を検証します。エコール・ド・パリ―。その内には、彷徨えるユダヤの魂が、静かに息づいているのです。

★「観るだけ美術部員」のつぶやき
 「ユダヤ」民族がどうとか、そういうことはよくわからないし、そういう自分が知った顔で、あれこれ書くのもどうかと思います。絵画として観ると・・パスキンの絵は、よくわかりません。特に、わたしのような素人には。北海道立近代美術館は、パスキンのコレクションで有名です。

★北海道立近代美術館「さまよえるユダヤの魂」展HP
http://www.aurora-net.or.jp/art/dokinbi/exhi/collection/collection_new.html
あしたはきょうよりもっといい日。