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[講演会]★三田村努 「よみがえる東海道五拾三次 浮世絵摺師のわざ」

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★三田村努 「よみがえる東海道五拾三次 浮世絵摺師のわざ」
 北海道立文学館、2019年7月21日(日) 10:00、14:00

 江戸時代、幕府の街道整備によって、江戸と上方を結ぶ東海道が開かれました。街道には茶屋や旅籠が置かれ、参勤交代の大名行列や商人、伊勢参りの旅人のほか、飛脚や駕籠かき、人足も往来盛んな大動脈となりました。そうしたなかで、『東海道名所図会』などの名所絵や旅案内などの出版が相次ぐと共に、空前のヒット作、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』が旅ブームの先駆けとなったのもこの時代でした。
 歌川広重(1797年-1858年、寛政9年-安政5年)が描いた保永堂版『東海道五拾三次』には、旅人や宿場の様子と共に、各地の風物が情緒豊かに描き出され、爆発的な人気を博しました。これにより、広重が描いた東海道ものは、その後15年を経て刊行された丸清版『東海道五拾三次』を含め20種類以上にのぼり、名所絵師としての地位を不動のものにしたのです。「保永堂版」と「丸清版」は同じ宿場を描いていますが、構図や色遣いだけでなく、季節や天候、時間帯、人物の所作などが異なっており、出版事情の違いや時代の好みの変化が感じられます。
 本展では、『東海道中膝栗毛』の弥次郎兵衛と喜多八が繰り広げるハチャメチャ道中を追いながら、「保永堂版」と「丸清版」のふたつの東海道五拾三次を同時に展示し、日本橋から見附宿までを前期、浜松宿から京都までを後期としてご紹介します。広重の細やかな情景の把握や豊かな構成力、彫り師、摺り師の卓越した技術など、時代を席巻した東海道五拾三次の魅力をお楽しみいただければ幸いです。

※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、北海道立文学館さま(HP)よりお借りしました。

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