「観るだけ美術部」部長のブログ

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[企画展]★蠣崎波響 『釈迦涅槃図』公開

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(蠣崎波響 『釈迦涅槃図』、1811年(文化8年)ごろ、高龍寺)

★蠣崎波響 『釈迦涅槃図』一般公開
 函館市/高龍寺、2019年3月31日(日)-4月15日(月)
(WEBサイト→)https://event.hakobura.jp/1449

 蠣崎波響(1764年-1826年)は、松前藩12代藩主、松前資廣の5男として福山城に生まれ、翌年、家老であった蠣崎将監廣当の後継ぎとなりました。幼少期から江戸に出て、建部凌岱や宗紫石に師事します。寛政元年(1789年)のクナシリ・メナシの戦いに際して、松前藩に協力したアイヌの酋長たちを描いた肖像『夷酋列像』は、光格天皇の叡覧に供されました。
 今回一般公開される『釈迦涅槃図』は、年に1度、一般に公開されています。涅槃図としては珍しく、双幅の形式をとっています。中心となる釈迦を囲む会衆や寝台の東西南北に2本1組で配される沙羅双樹などは、画面左側(右幅)に集中しており、右幅だけでも成立するようにも、また3幅で1幅を欠くようにも受け取れる構図です。収蔵していた箱の裏には「文化11年」(1814年)、表装裏には「文化9年」(1812年)と書かれていますが、為書から、文化8年(1811年)に函館の高龍寺11世住職、禅海上人のために蠣崎波響が制作したとするのが一般的です。これだけの大画面に得意とする唐人物風の菩薩や多様多種の鳥、動物などが写実に描きこまれた作品は稀で、波響が全身全霊をもって取り組んだことが伺えます。まさに、蠣崎波響の最高傑作の1つに上げられる作品でしょう。北海道指定有形文化財

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(高龍寺山門。高龍寺は函館最古の寺院としても有名です。
なお、山門は本堂など11棟と共に登録文化財に指定されています)

※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、「函館タウンガイド(函館市公式)」さま(HP)よりお借りしました。

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