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[建築物]★淀屋橋橋梁(大阪市)

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大阪市に数ある橋梁の中でも、最も魅力を感じると言われる淀屋橋橋梁)

淀屋橋橋梁(大阪市
 中之島の南側に流れる土佐堀川に架かるのが、淀屋橋橋梁です。昭和10年(1935年)の建築で、設計は大谷瀧雄(基本意匠設計)、大阪市武田五一(実施設計)、元良勲(意匠)。施工は大林組です。橋桁の長さは54.5m、有効幅員37.0m。大江橋よりも短くなっています。デザインは特に重視され、大正13年(1924年)には橋梁としてはそれまでほとんど例のないデザインコンペが行われ、全国から意匠設計を募集されました。コンペでは幅員、橋長などのほかに、主構造を鉄骨鉄筋コンクリートのアーチ橋とし、大江橋淀屋橋は同一のデザインとすること、周辺の建築物や背景と調和すると共に、2橋の間の道路部分のデザインも考えること、などの条件が示されました。1等に当選した大谷瀧雄案は、選評によれば「南欧中世紀の気分ある近代士気を用い、その根底においては東洋趣味の横隘せる・・(中略)・・全体の形、極めて端正剛健、その形状の比例最も洗練を経たり。その主要材料たるコンクリートを様式の上に表現せんとする作者苦心の跡、最も注意すべし」とあります。この計画案に手が加えられ、実施計画が作成されました。
 構造形式は、大江橋と同じく上路充腹式、鉄骨鉄筋コンクリート造りで、大江橋は4径間アーチ橋なのに対し、淀屋橋は3径アーチ橋で、共に瀟洒な欄干が付いています。主桁構造は鋲結Ⅰ型鋼、床部構造は鉄筋コンクリートで、基礎は木杭基礎。高欄の構造は花崗岩貼りで、格子は青銅鋳物。
 竣工後の改修としては、高欄の格子が戦時中の金属供出により取り払われ、木製のものに代わっていたのが、昭和62年(1987年)になって青銅製のものに戻されています。また、船舶航行の際の床面保護の目的で、平成12年(2000年)淀屋橋の床板補強工事としてアーチ部下面に鋼板接着を行っています。「大江橋淀屋橋」として、2橋合わせて重要文化財の指定を受けています。

※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、ブログ運営者がみずから撮影したものです。

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