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[建築物]★大坂城 乾櫓(大阪市)



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大阪城乾櫓。大手口から京橋口までを見渡せる戦略的に重要な櫓でした)

大坂城 乾櫓(大阪市
 「乾」とは「西北」を表す言葉です。この櫓は西の丸の西北に位置していることから「乾櫓」と呼ばれるようになったようです。大手口から京橋口までの広い範囲を見渡せる戦略的に重要な地点にあり、外堀を隔てた城郭外側の南・西・北のどの角度からも望めたことから、「三方正門の櫓」とも呼ばれていました。戦後の解体修理の際に、「元和六年申ノ九月吉日 ふかくさ 三十郎」と書かれた屋根瓦が見つかったことから、乾櫓の創建は元和六年(1620年)の徳川幕府時代ということが判明しました。つまり、乾櫓は千貫櫓と同じく、大坂城再築工事の際に築かれたものであり、現存する大坂城の遺構の中でも、最も古い構造物のひとつだということが明らかになったわけです。
 乾櫓の高さは10.3m、総面積は186.23㎡。L字の2階2層、総2階造りという珍しい構造です。通常、隅櫓(角にある櫓)の場合、四角く場所を切り取って建てるのですが、この乾櫓は石垣の折れを利用し、そのままL字型の建物にしているのが特徴。また通常、隅櫓は1階に比べて2階を狭くするのですが、この乾櫓は1階と2階が全く同じ面積になっています(これを総2階造りと言います)。窓は堀に面した北面と西面に26か所。鉄砲狭間は16か所(ただし漆喰が塗りこめられていて、外からは見えない)。石落としは4か所。この櫓の設計建築総責任者は、茶人の小堀遠州だったようです。重要文化財

※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、大坂城観光ガイドさま(HP)よりお借りしました。

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