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[郷土展]★新発見!津軽海峡を渡った 吉田松陰の書 展

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(石狩尚古社の建物。創始は1856年(安政3年)とされる)

★新発見!津軽海峡を渡った 吉田松陰の書 展
 石狩尚古社資料館、2015年6月3日(水)-11月3日(火・祝)

 俳句資料などを展示する私設資料館「石狩尚古(しょうこ)社」(石狩市本町3)で、江戸時代の思想家吉田松陰の直筆とされる漢詩の書が初公開されています。30年前に発見され、館内に保存されたままだったそうですが、松陰の妹・文(ふみ)の生涯を描いたNHK大河ドラマ『花燃ゆ』の放送を機に表装し、展示されることになりました。

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吉田松陰の書。七言絶句の漢詩。1859年)

 書は七言絶句の漢詩で、縦1・1メートル、横34センチの和紙に書かれています。館長の中島勝久さんが市職員だった30年前、自宅の石蔵を整理していた際に発見。国学院大図書館の調査員に鑑定を依頼したところ、他の直筆書と筆体が同じことなどから「真筆」との回答を受けたとのことでした。
 同図書館によると、書は1859年(安政6年)5月18日、松陰が長州藩の萩の野山獄に収監中に書かれたものとか。松陰はこの4日前、安政の大獄連座して江戸に監送させられる報告を受けたといい、「韻事多年冷若灰」(詩歌のことなど長らく灰のごとく冷え切っている)などの思いをつづったとされています。書が石蔵にあった経緯は不明ですが、明治期に石狩で呉服店「中島商店」を経営し、俳人でもだった中島さんの曽祖父が本州で買い付けてきたものではないか、とのことでした。中島さんは「このような立派な物を買い付けできるだけ、石狩はかつて栄えていたと分かる」と話しています。

※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、石狩尚古社資料館さま(HP)よりお借りしました。

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