「観るだけ美術部」部長のブログ

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[廃線跡]★旧川上駅 跡地 (旧ふるさと銀河線)

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(旧川上駅の様子。2012年夏に踏査。こんなに雰囲気のある素敵な駅舎だったのに・・)
 
★旧川上駅 跡地 (旧ふるさと銀河線
 残念なお知らせを、ブログ仲間である「銀河線沿線ネット」さんから聞かされました。昨年9月に踏査済みだった、ふるさと銀河線の旧川上駅駅舎が、1月になって解体されたというお知らせでした。言いようのない残念で悔しい気持ちと、無力感・・。ここに掲載した駅舎の画像は、もういまはそこにはありません。
 
◆「銀河線沿線ネットさん」の記事
 
 旧川上駅(かわかみえき)は、陸別町にあった北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線の駅でした。ふるさと銀河線廃線に伴い、2006年(平成18年)に廃駅となりました。旧川上駅の駅舎は、1920年(大正9年)に作られた木造駅舎で、ほぼ当時のままで残る駅舎として有名でした。正面の左側はサイディングに張り替えられましたが、正面右側は当時のまま。下見板張りの外壁で、古色蒼然とした風格がありました。屋根も当時のまま、ひし形鉄板葺き。正面右側の待合室には出札カウンターも残されていて、池北線当時は出札業務も行われていたそうです。待合室の雰囲気はよく、ノスタルジックな印象でした。周囲に民家はありません。駅前には「森と水と星のシンフォニー」というモニュメントがありましたが、今回の解体工事で同時に壊されたことでしょう。
 
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(モニュメント「森と水と星のシンフォニー」。一緒に壊されたでしょうか)
 
 旧川上駅はもともと、木材資源を搬出することを目的として、1920年(大正9年)に設置されました。昭和初期までは、駅裏土場の利別川側に富士製紙の流送木材陸揚網羽も設置されており、1923年(大正12年)には年間乗降数29,000人(1日あたり約80人)の利用があったそうです。また、第二次世界大戦後も陸別営林署の伐採事業による当駅の利用がありましたが、トラック輸送への切り替えのほか、木材需要の低迷などが原因となり、昭和30年代後半には周辺がほぼ無人地帯となりました。徐々に利用が少なくなり、国鉄時代末期は1日あたりの統計上の利用者数が0人の状態が続いていたそうです。
 
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(旧川上駅のホーム跡。レールもこのように、いつでも気動車が走れる状態で残されていたのですが・・)
 
 しかし、川上駅周辺は最低気温がマイナス30度を下回る日本でも有数の極寒地として知られているほか、駅舎の状態や付近が無人地帯であることから、大学のサークルにおける「耐寒合宿」でも使用されるなど、ふるさと銀河線内では秘境的立地条件と駅舎の古さからカリスマ的な存在となっている駅でした。
 現在、りくべつ駅を中心として、気動車を走らせている事業ですが、ゆくゆくは、この川上駅まで走らせたいという願いを持っていたそうです。無人地帯でもある川上駅周辺にあって、この駅舎が長らく残されていたのは、おそらく、ここまで気動車を走らせたいという思いからだったろうと推測します。そうであるならば、いまこのタイミングで駅舎が壊されたのは、この「夢」が、実現からは大きく後退したということを物語っているのでしょう。残念です。
 
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(やはりこのタイミングで駅舎が取り壊されたのは、「夢」が潰えたと考えるのが妥当なのでしょうね)
 
 こうした廃線跡をたどる旅は、こうしたことによく出くわします。廃線跡、旧駅舎は、いつまでも残っているという保証はありません。使われなくなったものは、危険建築物として解体されるのをただひたすら待つという運命しか残されていないのです。廃線跡踏査の優先順位をつけるのに、「ここはまだ解体されないだろうから、後回し」ということをよくやるのですが、「いつまでも残されているわけではない」ということを肝に銘じて、雪解けあと再開するであろう廃線跡の踏査に出かけたいと思いました。(2012.9.22.現状を確認。その後2013年1月になって解体がはじめられたとの情報を入手)
 
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