★岩内線と、幻の「西海岸鉄道」展
岩内町郷土館、2012年7月31日(火)-9月9日(日)
明治の開拓期、岩内から寿都方面を結ぶ計画があって実現しなかった「西海岸鉄道」の誘致運動の歴史を振り返ります。1896年(明治29年)、現在の函館線の計画路線は仁木町然別から赤井川、倶知安に抜けると決まった路線は、ニシン漁の経済力を背景にした岩内の経済人の働きかけにより、現在の然別、仁木町銀山、共和町小沢を通るルートへ、一部変更されました。
さらに西海岸鉄道敷設への伏線として、1905年(明治38年)、自力で小沢―岩内間の馬車鉄道を開通。1912年(大正元年)には貨客車が走る岩内線となりました。1969年、西海岸鉄道の着工式を開催するまで計画は進みましたが、岩内線自体が1985年に廃線となり、約1世紀にわたる計画は消滅してしまいました。
本展では約40枚の写真パネルや政府への陳情書、測量図などを展示。現在の函館線と赤井川を通る計画路線の両方が併記した地図もあります。
さらに西海岸鉄道敷設への伏線として、1905年(明治38年)、自力で小沢―岩内間の馬車鉄道を開通。1912年(大正元年)には貨客車が走る岩内線となりました。1969年、西海岸鉄道の着工式を開催するまで計画は進みましたが、岩内線自体が1985年に廃線となり、約1世紀にわたる計画は消滅してしまいました。
本展では約40枚の写真パネルや政府への陳情書、測量図などを展示。現在の函館線と赤井川を通る計画路線の両方が併記した地図もあります。
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