「観るだけ美術部」部長のブログ

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[特別展]★北海道の鳥かん図 わがふるさと再発見展

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★北海道の鳥かん図 わがふるさと再発見展
 弥永北海道博物館、2012年4月24日(火)-8月31日(金)
 
 弥永(やなが)北海道博物館の開館30周年を記念し、北海道・樺太の街並300点の鳥瞰図と古地図が展示されています。館長である弥永芳子さんが、長い年月をかけて蒐集された道内・樺太の鳥瞰図、古地図のほか、常設展示では研究者としての活動のなかで世界中から集められた資料群が公開展示されています。
 特に圧巻なのは、大正から昭和にかけて活躍し、「大正広重」とも呼ばれた鳥瞰図(ちょうかんず)絵師・吉田初三郎(1884-1955)が描いた北海道・樺太の街並の絵図でしょう。そのほか、江戸時代の絵地図や道中案内図など、圧倒的なスケールで支庁別に分けて展示。それぞれの町の移り変わりを見て楽しめます。
 
弥永芳子 『北海道の鳥瞰図』 あとがきより
 50年ほど前、『北海道の貨幣史』を執筆中に、明治時代の函館にあった銀行の所在地を調べていました。「第百十三国立銀行」の所在地は分かりましたが、短期間で閉行した「第百四十九国立銀行」の場所が、関係資料をみても分からず、半ばあきらめていました。そんなとき、ふと絵地図『函館真景』を思い出し、書庫にある地図箱を開けてみました。
 そのなかには、ライマンの『地質図』、江戸時代の『道中案内図』、松浦武四郎の『千島一覧』をはじめ、北海道の鳥瞰図、絵葉書などが入っていました。『函館真景』を取り出して見ると、街の中心にある十字路の南角に「第百十三国立銀行」、その北角に「第百四十九国立銀行」の建物が描かれていたのです。それを発見したときの感激をこの絵地図を見るたびに思い出すのです。
 さて、本書の主人公である吉田初三郎は、大正7年に札幌に来ており、定山渓温泉を訪れています。当時、建設中だった定山渓行きの鉄道工事に関する記述も残されていて、鳥瞰図も描いています。それから昭和6年に初三郎は『定山渓電鉄沿線名所図絵』を描いていますが、私はこの鳥瞰図を見るたびに昔を思い出します。小学生のときの修学旅行が定山渓行きでした。当時の軌道敷設工事が劣っていたのか、ガタゴトと横ゆれが激しく、電車に酔う子がいて先生が右往左往していました。
 札幌の街は、昭和の戦前から戦後にかけて、大きく姿を変えていきました。この様子は絵地図を見比べてみると、よく分かります。また、未開地に鉄道が延びていくと、駅の周辺には町ができ、炭山、鉱山などは大きく人口が増えました。しかし、鉄道廃線の時代をむかえると、一気に地域から人がいなくなってしまうのです。とくに、昔賑わっていた町の様子は、初三郎が描いた鳥瞰図が教えてくれてひじょうに貴重な資料となっています。
 そんな思いから、北海道内の市町村、樺太などの鳥瞰図を機会があるたびに少しずつ入手してきました。本書制作のため改めて地図箱を整理しましたら、300点ちかくあってたいへん驚きました。故郷の思い出を楽しく垣間見ることができるのは、初三郎の鳥瞰図が唯一だと思っております。懐かしんでいただければ幸いです。(「あとがき」より)
 
※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、弥永北海道博物館さま(HP)及び、中西出版さま(HP)よりお借りしました。
 
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