「観るだけ美術部」部長のブログ

「観るだけ美術部」勝手に部長です。入部希望者は、コメント欄にメッセージを残してください。折り返し、勧誘に伺います(笑)。

あしたはきょうより、きっといい日。

[汽車旅]★春を感じる創成川と円山・琴似ウォーク

イメージ 1
(復元された創成橋の親柱。
左下側に見えるのが創建当時の車止め柱。
北海道神宮の行列の神様がお休みになる「頓宮」表参道を意識して、擬宝珠が取り付けられた)
 
★春を感じる創成川と円山・琴似ウォーク(JRヘルシーウォーク)
 JR札幌駅南口広場、2012年4月14日(土) 8:30
 
 JRヘルシーウォーク2012・2013が、いよいよ開幕です。今年のスタートウォークは、昨年4月にオープンしたばかりの「創成川公園」を通り、「狸小路」に抜けます。その後、人気の「円山地区」を越えて「大倉山」へ。コース後半は、登りが多く、体力勝負となりますが、歩いたあとの達成感は、きっと気持ちがよいことでしょう。ゴール手前の琴似駅手前には、温泉施設「湯処花ゆづき」がありますので、ウォーキングの疲れを癒すこともできるようです。
 
イメージ 2
 創成川は、札幌市中央区幌平橋上流(南17条あたり)の豊平川から取水し、中島公園内の鴨々川に合流した後、ほぼ直線に札幌市内の都心部を北流し、石狩市との境界付近で伏籠川に合流、鴨々川より下流では創成川通り(国道5号・231号)が併走しています。
 この創成川は、二宮尊徳の開墾の仕法を学んだ弟子の大友亀太郎が、1866年(慶応2年)に札幌村開墾に際して開削した用水路の「大友堀り」が全身となっています。当初の大友堀は、南3条付近から胆振川の水を引いて現在の創成川の流路で北6条付近まで流れ、そこから東に流路を変えて大友亀太郎の役宅の裏(現在の東区の大友公園)で伏籠川に注いでいました。
 1870年(明治3年)、南3条から南6条までの上流部に吉田堀が、北6条以北の下流部に寺尾堀が掘られました。1871年(明治4年)には、船が航行できるように拡張改修されて、同時に南1条の丸太を並べただけの名もない橋が手すりのついた長さ7.8mの木橋にかけ替えられ「創成橋」と名付けられました。そしてその3年後の1874年(明治7年)に、「大友堀」が「創成川」と名を改めました。
 札幌の市街は、この「創成橋」の東のたもとを起点として、南北に創成通り、東西に渡島通り(南1条通り)を設けて東西南北に区画割りされたもので、「創成橋」が札幌の礎となっています。遺構としては、1871年(明治4年)橋が架けられたときの車止めが残っています。百年以上の風雪によって、その文字も「創」の字が消えてしまい、「成」が半分と「橋」という時しか残っていませんが、当時を物語る貴重な遺構です。
 
※なおこちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めたガイドラインに基づき、札幌市公園緑化協会さま(HP)よりお借りしました。
 
↓いつもお越しいただきまして、ありがとうございます。きょうも1クリック、よろしくお願いします。
¤ˤۤó\֥�¼ Èþ½ѥ֥� ³¡¯²è¤Ø(ʸ»ú¤򥯥ê\å¯)
あしたはきょうよりもっといい日。