(池谷寅一 『毛糸帽子の自画像』 1923年、
北海道立函館美術館収蔵)
★道南美術 -明治・大正・昭和-展
道立函館美術館、2011年12月17日(土)-2012年3月20日(火)
近代における道南地方の美術は、幕末の函館でロシア人から手ほどきを受け、その後東京でわが国を代表する洋画家、写真家として活動した横山松三郎に始まります。明治期には、幾人かの日本画家が函館に訪れ画会などを開きましたが、なかでも明治中期に函館に移住し、私塾や旧制中学などで絵画指導にあたった北条玉洞が大きな影響を残しました。
大正に入ると、数々の展覧会や洋画講習会が催され、さらに文展、二科展など中央での公募展への入選者を輩出、次第に美術を取り巻く状況が活気づきます。1921年には、本格的な美術団体「赤光社」が誕生、多くの人々を美術へと導きます。
続く昭和戦前期には、この地域の美術界が「青春期」とも呼べる活況を呈しました。地元の美術家たちがいくつも展覧会を開催するなか、中央の公募展にも入選を果たします。そうした画家たちの活動が刺激となって、戦後の盛況へとつながっていきます。同様に、道南出身者のなかからも、画家を志して中央に旅立ち、そこで活躍する画家も多く現れてきました。
今回の常設展示室では、現代へと続く道南の美術の黎明期から青春期ともよべる時代に活躍した画家15人の作品を展示します。
大正に入ると、数々の展覧会や洋画講習会が催され、さらに文展、二科展など中央での公募展への入選者を輩出、次第に美術を取り巻く状況が活気づきます。1921年には、本格的な美術団体「赤光社」が誕生、多くの人々を美術へと導きます。
続く昭和戦前期には、この地域の美術界が「青春期」とも呼べる活況を呈しました。地元の美術家たちがいくつも展覧会を開催するなか、中央の公募展にも入選を果たします。そうした画家たちの活動が刺激となって、戦後の盛況へとつながっていきます。同様に、道南出身者のなかからも、画家を志して中央に旅立ち、そこで活躍する画家も多く現れてきました。
今回の常設展示室では、現代へと続く道南の美術の黎明期から青春期ともよべる時代に活躍した画家15人の作品を展示します。
※なおこちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、北海道立函館美術館さま(HP)よりお借りしました。
↓いつも観ていただきありがとうございます。きょうも1クリック、よろしくお願いします。