「観るだけ美術部」部長は、2011年の晩秋、旧手宮線の探査を実施しました。何回かに分けて、そのレポートをします。今回は、その第2回目。なお、ここに載せている画像は、すべて、ブログ運営者がみずから撮影したものです。
ここに、幌内鉄道の開業当時(1880年)の建築と思われる煉瓦造りの橋台が、いまも残っています。ここの入船架道橋も、難工事部分だったそうです。それにしても、明治・大正期の煉瓦建築は、いつ観ても、非常に美しいですね。風格があります。
さらに踏査を進めます。途中何度か、小路と線路が交差しているところがあります。このあたりは旧手宮線のレールは残っていないのですが、道路と交差する部分だけは、画像のように、レールが残っています。
上掲2枚の画像はいずれも、手前側が旧手宮線の線路です。レールがここだけ残されていて、ほかの部分は切断されているのがわかります。
花園橋まで来ました。画像の上端に見えるコンクリート製の橋が花園橋です。色内方面を観てみます。函館本線が、このあたりで左に大きく曲がっているのが、よくわかります。旧手宮線(画像手前、側溝のように観えている部分)は、このあたりで函館本線と別れ、ほぼ直進して、色内方面を目指します。これだけを観ても、函館本線と旧手宮線のどちらがさきに完成したのかがわかりますね。
さきほどの花園橋から、もう一度色内方面(さきほどの画像と同じ方向)を観てみます。現在の函館本線が、左側にカーブしているのが、ここでもよくわかります。旧手宮線は、その右側に観えている部分(側溝のように観えている部分)です。レールは残っていませんが、線路跡はよく残っていると言えるでしょう。(つづく)
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