「観るだけ美術部」部長のブログ

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[公募展]★春陽会 北海道作家展(絵画部)

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三岸好太郎 『兄及ビ彼ノ長女』
三岸好太郎美術館所蔵、第2回「春陽会」展 首席作品)
 
★春陽会 北海道作家展(絵画部)
 時計台ギャラリー、2010年11月22日(月)-11月27日(土)
 「春陽会本展で受賞者が生まれ、2人の新入会があり、今展は活気づいています。例年通り、東京から講師を招き講評会を開きます。11月27日(土)11:00から行います。どなたでも聴講可能です。ご来場をお待ちしております」とのことです。
 
※春陽会(Yahoo!百科事典)
 洋画、版画の美術団体。1920年(大正9年)院展洋画部を脱退した小杉未醒(みせい)(のち放庵(ほうあん))、山本鼎(かなえ)、倉田白洋(はくよう)、足立(あだち)源一郎、森田恒友(つねとも)、長谷川(はせがわ)昇に新帰朝の梅原龍三郎(りゅうざぶろう)を加えた会員が、院展系の石井鶴三(つるぞう)ら3名と旧草土社(そうどしゃ)系の木村荘八(しょうはち)、岸田劉生(りゅうせい)、椿貞雄(つばきさだお)、中川一政(かずまさ)、萬(よろず)鉄五郎らを客員として迎え1922年1月に創設。既成団体への社会的反抗としてではなく、単なる芸術家の心をもって因縁相熟したるものとの結成主旨を発表した。翌年第1回展を開催、さらに1924年客員制を廃して会員制とし、以後毎年春に公募展を行っている。その後、梅原、岸田の脱退など会員の移動は頻繁であるが、大正期には帝展、二科と鼎立(ていりつ)する勢力をもち、三岸好太郎(みぎしこうたろう)や鳥海青児(ちょうかいせいじ)などの異才を世に送った。初期には草土社風の暗い色調や南画趣味ないし日本的油絵志向が顕著であったが、その後近代性を加え、第二次世界大戦後は岡鹿之助(しかのすけ)、加山四郎、三雲(みぐも)祥之助、中谷泰(たい)や版画部の長谷川潔(はせがわきよし)、駒井哲郎(こまいてつろう)、北岡文雄などの活躍が目だっている。なお1951年(昭和26年)から1961年まで、一時舞台美術部が設けられた。
 
★時計台ギャラリーHP
 
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