「観るだけ美術部」部長のブログ

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あしたはきょうより、きっといい日。

[建築物][レトロ宿]★石場旅館 主屋(弘前市、現存、登録有形文化財)

★石場旅館 主屋(弘前市、現存、登録有形文化財

 観るだけ美術部長は、2023年3月26日(日)-29日(水)にかけて、青森県弘前市黒石市周辺を旅行しました。その目的のひとつが、由緒正しいこちらの「石場旅館」に泊まることでした。こちらの記事では、その「石場旅館」さんについて、建築学的な側面から見ていくことにします。

(石場旅館。明治12年建築。登録文化財

ishibaryokan.com

(屋号も書かれた正面玄関の看板)

 こちらの「石場旅館」さんは、国登録有形文化財に指定されております。弘前市青森県津軽地方の中核都市であり、かつ関東以北唯一、天守閣が現存する城下町でもあります。弘前城はサクラの名所としても有名ですが、サクラの時期を避けると、津軽の懐かしい香りのする街でもあります。そんな街だからこそ、訪れるときには味気ないビジネスホテルではなく、どこか懐かしい旅館や民宿に宿泊したいもの。そんな思いを叶えてくれるのが、今回紹介する「石場旅館」さんです。

(廊下の突き当りにある、石場旅館さんの看板娘、柱時計)

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 前置きが長くなりました。今回は建築に特化して記事にしますので、内容は「登録有形文化財」登録概要を参考にさせていただきました。

http://ishibaryokan.com/txt/project01.pdf

 「石場旅館」創業者でもある石場久蔵は、30歳のころに道路側の表面部分に小間物屋を兼ねた旅館を営みました。これが「石場旅館」の創始です。本建物は1879年(明治12年)ごろに新築されたようです。久蔵は1886年(明治19年)に当時の駅伝取締所から駅伝宿舎としての木札を受けていて、これは現存しています。1889年(明治22年)に玄関奥に続く宿泊棟を増築しました。

(階段左側に見える宿泊客の錚々たる顔ぶれに驚く)

 1894年(明治27年)には弘前-青森間に鉄道が開通し、1897年(明治30年)弘前市に陸軍第八師団が設置されたのですが、1899年(明治32年)に陸軍が発行した『大日本旅館』という冊子には、こちらの「石場旅館」がすでに掲載されているそうです。現在でも「陸軍召集軍用旅館」と書かれた看板や、皇室、政府関係の看板も数多く残っており(「伯爵 板垣(退助)様」「北白川宮成久殿下」(陸軍大臣)、「男爵 波多野敬直閣下」(司法大臣、宮内大臣)「公爵 二条基弘閣下」「侯爵 西郷従徳閣下」など)、実際に観ることができます。のちにも数度改築、改修が加えられており、特に玄関正面部分には、1970年(昭和45年)黒塗りの付け柱や付け梁が施され、城下町の街並みに白い漆喰壁が映えています。

(石場旅館さんの玄関。風格が感じられますね)

(玄関を上がると、左手に帳場、右手に廊下が繋がっています)

 玄関は、正面よりやや左寄りに位置しています。玄関を入ると土間になっており、奥行きが大きく取ってあります。小上りに出ると左手が帳場となっており、通路は右側の廊下に沿って進みます。廊下の突き当りにあるのが、こちらの旅館のシンボルでもある柱時計。廊下は黒光りしていて、歴史の深さと手入れのよさが感じられます。

(廊下の突き当りに柱時計。左手に享保雛が飾ってあります)

 廊下の展示棚にはお雛さまが飾ってあったのですが、これは享保雛です。こうしたものがさりげなく飾られてているのがすごいです。

(飾ってあった享保雛。300年くらい前のもので、大きいのが特徴です)

 廊下を曲がったところにあるのが、こちらの旅館の代名詞でもある「太鼓橋」です。廊下の一部が橋のようになっており、その手前と奥には、2階に登る階段が配置されています。まるでここが旅館の館内であることを忘れてしまいそうになるほど素敵な造り。宿主さんによると「旅館に宿泊することを、さながら別世界に行くかのように感じ味わってほしい」からだそう。素敵すぎます。

(廊下に太鼓橋があるって、すごく驚き!)

 この「太鼓橋」のあたりにはもうひとつ秘密があります。それは、奥側の階段下が内蔵(本来は母屋とは分離されているはずの蔵を、屋内に組み込んだ建築様式)になっていることです。

(奥側の階段下が、内蔵蔵になっているのだそう)

(普段とはまた違った気持ちで宿泊してほしいからだとか)

 また、館内に置かれている調度品のなかには津軽藩から譲り受けたものも多いらしく、屏風や鏡台なども展示されています。

(右側にある鏡台も、譲り受けたものだとか)

(立派な襖絵(たぶん)もさりげなく飾られています)

 中庭は大きく取られていますが、外観からはその規模をうかがい知ることはできません。宿泊棟からはやや離れたところに風呂場があります。ここには「石」の屋号が記されたガラスがはめ込まれており、とてもデザインチック。洗面所が特にお洒落。

(屋号の描かれたすりガラスがとても素敵!)

(小さいことだけど、トイレも暖かかった。こういう気配りが素敵)

(黒光する階段を上って、2階に進みます)

 「太鼓橋」から階段を上って2階に進みます。2階は中庭がよく見え、部屋には広縁も設けられています。広縁の外側には欄干がそのまま残っているので、もともとは廊下で、のちに広縁にしたものでしょうか。

(廊下を照らす照明にまで、凝った造作が見られます)

(こうした空間演出は、ため息が出るばかり。1階から中庭。)

(2階廊下も、手抜きはありません)

 通していただいたのは、2階の1号室。朝になると、太陽がいっぱいに降り注いでいて、とても気持ちのいいお部屋でした。ひとり宿泊なのに、2部屋繋がっているのが、申し訳ないくらいでした。

(写真は1間に見えますが、じつは2間続きです)

 この記事では、石場旅館さんの建物について書きましたが、それ以上に感動したのは、石場旅館さんのご主人さま、奥さまの温かい接客です。夕食には美味しい地元料理のお店までわざわざ送ってくださり、朝食はわざわざお部屋まで運んでくださり、トイレには暖房が置かれていたり、靴にはさりげなく靴ベラが置かれてあったり・・。「コロナ禍で、経営はなかなか難しいです」と仰っておりましたが、こういう関わりこそが、「弘前市」のイメージを高めてくれるのだろうと思い感動しきりでした。

(こうした心配り、ひとつひとつが素敵な思い出となるのですよね)

 

 石場旅館さん、ありがとうございました。弘前に行くことがありましたら、また寄らせていただきます。

 

 

あしたはきょうよりもっといい日。