「観るだけ美術部」部長のブログ

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あしたはきょうより、きっといい日。

[特別展]★金子みすゞの世界展

金子みすゞ

金子みすゞの世界展

 北海道立文学館、2022年8月27日(土)-10月23日(日)

(WEBサイト→)

www.h-bungaku.or.jp

金子みすゞの世界展)

 金子みすゞ(1903年-1930年)は、大正から昭和初期にかけて活躍した童謡詩人です。20歳のころから童謡を書き始め、雑誌に投稿するや否や、4つの雑誌すべてに掲載されました。とりわけ『童話』の選者であった西條八十からは高く評価され、多くの読者の憧れの的となりました。

(『金子みすゞ 名詩集』)

 しかしそれは長く続きませんでした。西條八十の留学や、昭和に入ってからの童謡運動の衰退、病気、離婚などの苦難が次々と身に降りかかり、金子みすゞは26歳の若さで服毒自殺します。その後、金子みすゞの名は長く忘れられてきましたが、1982年(昭和57年)童謡詩人の矢崎節夫さんが手書きの3冊の詩集を発見。全集として刊行されると、みすゞの名は次第に世に知られるようになりました。多くの人が見過ごしてしまいがちなものの存在に眼を向けた、みすゞの温かみのある童謡は、現在でも多くの人に親しまれています。

 本展では、金子みすゞの生涯や、彼女の童謡の世界を紹介いたします。

金子みすゞ「こだまでせうか」)

 金子みすゞの詩は、小学生の国語の教科書にも載っていて、その華々しい前半生と、その足跡を追う矢崎節夫さんの話が印象的に描かれています。そのため、金子みすゞの詩に共感共鳴するも皆さんも多く、それはそれで素敵なことだと思います。しかし、ぼくは金子みすゞがその後、若くして亡くなったというエピソードを知って驚きました。金子みすゞの後半生は梅毒に侵され、またDVにより離婚するも娘さんの親権は得られず、明日前夫に娘さんを渡さなければならないという夜、母子二人でお風呂に入って背中を流し合い、その夜に金子みすゞは服毒自殺をしたのです。当然小学生の教科書にはその記述はないのですが、その心情はいかばかりであったろうかと思うと涙が出ます。このエピソードを知ったとき、ぼくもちょうど人生の岐路に居たことを思い出しました。部長の独り言です。

 

※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、北海道立文学館さま(HP)よりお借りしました。

あしたはきょうよりもっといい日。